12.19NP自主ユーザーミーティングの対話録

【開催概要】
◆開催日時:2016年12月19日 19時〜21時
◆場  所:新宿野村ビル・野村コンファレンスプラザ
◆参加者 :12名のNPユーザー ※大半が11/28Mtg.参加者
       ※NP社スタッフにも、前もって打診するも「業務多忙」を
        理由に参加を断られる。
◆開催趣旨:11/28Mtg.内容を踏まえた対話の深耕
◆事前準備アジェンダ
 ①あらためて、「長谷川氏問題」とは?
 ②ユーザー階級制の妥当性と妥協点は?
 ③純粋「コメント論」、または純粋コメント論批判
 ④ビジネスとしての運営原則VS非ビジネスとしてのコメント
 ⑤NP運営主導「コミュニティ」VS本来のコミュニティ
 ⑥NPにどう関わり、何を得るか?
  ※結果的に、このうち⑥③⑤を中心に議論。
◆運営体制
 -議長:渡邊
 -書記:辻本
 -コーディネート:田添

f:id:sophiaconsul:20161227202659j:plain

 

-6つのテーマを用意したが、どれから議論したいか?(コーディネータ)
-ぜひ、⑥のNPへの関わり方から話してみたい(参加者1)

f:id:sophiaconsul:20161216185938j:plain

 

【1.NPにどう関わり、何を得るか(※アジェンダ⑥)】

-NPにどう関わり、何を得るか?  まず前提として3タイプの関わり方がある。 ①ROM ②記事を上げるpickする ③コメントする。①が一番多く、②③は少数と言われる。(コーディネータ)
-実益である。ツイッター等と違ってプラットホームとしての性質があるため、政治経済等クリティカルなテーマに関する他者の本音の見解に触れられるのが魅力。また、自分の本音をアウトプットする練習の場としても貴重。(参加者2)
-自分の業界にかかわる見解を確認することができる情報取得の手段。(参加者3)
-記事を読んだらコメントする。自分が何を読んで自分の考えをコメントする。1日5コメントくらい。(参加者5)
-込み入ったコメントというのは裏付け。政治問題が多い。新聞に対する不信感を抱くようになり、他のかたのコメントを参考にしている。実益にも役立っている(参加者6)
-プラットフォームの運営。NPの運営のやり方や、例えばコメントのアルゴリズム一つとっても参考になる。Twitterは自分が安全な場所にいる前提で、自分を守っているコメントが多い。NPは自分の投げ込んでいる人が多い。(参加者1)
-9割は娯楽でやっている。他の方の意見を参考にして、色々な考え方を知る。実名で出すのはリスクが非常に大きい。コメントで自分のコメントが批判する。価値基準・思想・立ち位置が問題になるような濃い記事には深入りしないようにしている。(参加者7)
-アウトプットする場所がないので、そのために利用している。自分のメモ書きで使っていく。(参加者12)
-では、話の流れで、③のコメント論に展開してみよう。(コーディネータ)

 

【2.純粋「コメント論」について(※アジェンダ③)】
※このタイトルでの「純粋」とは、コメントを分類し評価するにあたって、コメントそのもの以外の要素(※記事内容や、場の運営の仕方等)もあるが、そうした要素を一旦「中立」として、コメントそのもの及びコメント間の関わりだけを考慮して検討する意。


2-1.コメントへの関与スタイル類型(※マトリクス図参照)

f:id:sophiaconsul:20161216190036j:plain

-マトリクス図の構成は、「横軸」に<情報性指向・学習指向⇔娯楽指向・厭世指向>を取り、「縦軸」に<言論指向⇔ROM、ミーハー>を置いて4象限に分類したもの。
ユーザー分類ではなく、あくまでコメントの分類のため、一人のユーザーが複数の象限にまたがるコメントをしているのが通常の現象である。ただし、個々人によって、その「分布」には一定の傾向もある。例えば、言論指向で政治的発言ばかりをする傾向のユーザー(第2象限中心)もいれば、2ちゃん的なつぶやき的コメントばかりを行う人(第3象限中心)もいる。(コーディネータ)
-ROMの人は右下の人が多い。オフ会に行っている人はROM専の人が多い。ピックだけしている人は多い。学生さんが増えている。(参加者3)
-人となりが分かる人や専門性がある人のコメントが見たい。他のSNSでは、このようなコメントが見れるようなものはない。(参加者7)
-青や赤のところは意味があるか?(参加者1)
-青はその周辺にあるスタンスを集約した表現。赤(「通報・苦情」陰口指向)は推測の部分。コメントを書かないで、NP社に通報する人がいると推測している。(コーディネータ)
-コメント欄に書かずにこっそり通報する方も多いのではと思う。(参加者12)
-サイレントクレーマーがいる。(参加者11)

2-2.それぞれのコメントスタイル
-どのようなスタンスでコメントしているか?(コーディネータ)
-私は自分のことを語るのを軸にコメントしている。その際の留意点としては、①他者への抑圧作用を持たない、②場を損なわない、③付加価値を持たせる、の3点を意識している。(参加者4)
-堀江氏の(しばしば暴言・中傷を含む)コメントに、なぜあんなに沢山Likeが付くかは、皆不思議に思っている。(参加者5)
-その仕事や専門性という観点から「ピッカー」としてだけ見ており、「我々の代表」という感覚がかなり広く存在する(参加者2)
-彼のコメントほど、好き嫌いが著しいケースも少ない。(参加者3)
-彼のコメントへのスタンスを通じて、その人の価値観があぶりだされるとも言える(参加者6)

2-3.具体例からのコメントスタイル考察
-先日(12/17付)掲載されたLAコンフィデンシャル・Yさんの記事は、彼の人気もあり多くのピックが集中した。
https://newspicks.com/news/1955612
現在、ピック数565、コメント数は匿名を除くと100くらい。
多くの人がリアルタイムでこの記事をコメントを含めて読んでいるので、これを題材にして、コメントスタンスを具体的に検討してみよう。コメント欄を見て印象的なところは?(コーディネータ)
-Yさんのコメント人気は、情報性。数少ない飲食業界の現場から見た詳細な1次情報をコメントしてくれる。(参加者7)
-まさに内省的発言である。生い立ちや心情の発露コメントは、人と成りが垣間見える。
「コメントにコメントしない」というポリシーが共感を得ている面もある。批判的にコメントにコメントをすると他のユーザーもコメントしにくい雰囲気が出てしまう。(参加者8)
-Yさんの人柄に触れているコメントが多かった。(参加者12)
-そのとおり。それも含めてのこと。アイコンも猫だし、ふざけるときはちゃんとふざけるし。野党が初めて当選した時のような感じを受けた。我々の代表みたいな感じ。今回の人選はチャレンジングだと僕は感じた。(参加者11)
-人選で言えば、これまで選ばれた人はあまりコメントをしてなかった。この前の女の人とか。コンスタントにコメントをしていた人としてあまり例がなく、Yさんが選ばれたのが珍しい。(参加者9)
-というか、偉い人なのに低い目線でコメントをしてくれている。みんなと同じ目線でコメント(参加者11)
-好き嫌いが出ている。Yさんは温かい人なんだとコメントしている人は感じているよう。(参加者7)
-好き嫌いでコメントしている人が多いということ?(コーディネータ)
-コメントするときは少なからず好き嫌いが出ると思う。Yさんを好きな方が多いのが、コメントに表れているように感じた。(参加者7)

-一部嫌いな人もいたようです(笑。(参加者9)
-ある意味異質な人たちがあぶり出されたなという感じを受けた。特に3人。(参加者4)
-あと一人長文コメントがいた。そのうち一人は実はYさんのことが好きで、Yさんから嫌われているのが悲しいのだろうと感じる。(参加者9)
-嫌っていない。私は人のことを嫌わない。相手にしていないだけだ。
記事に対して批判をされるのはかまわない。ただ、挙げた人たちはコメントに対してコメントをする人たち。コメントに対してコメントをするのはやめろとずっと思っている。自分でセルフピックした記事をたたかれてということならしょうがないが。(参加者4)
-とはいえ、その「しょうがない」という論理を、実は皆それぞれ持っている。コメントにコメントしている人たちも、自分の考える「しょうがない」理由があるから、コメントにコメントしているわけだ。Yさんのロジックは、Yさんのまろやかさに包まれているからみんなに受け入られているが、現実問題として「コメントにコメントすべきでない」という言及の仕方で、実質的には結構多くのコメントにコメントしてしまっているパラドクシカルな面もある。(参加者9)
-コメントに対してコメントをすると、他の人にとって有益な面がなくなる。生産性がなくなる。これから書こうかなと感じている人に対して、こんなこと言われるなら書くのをやめようかなと委縮が生じる。それは良くない。(参加者4)
-つまり、①コメントは付加価値を持つことが必要、 ②場を損なうのはよくない、ということか?
例えば、議論が活性化するなら、他人のコメントに言及するのもありだと?
付加価値という観点から言えば、「このコメントはためになるから読んでみて!」というのも、コメントにコメントしてるが、それもOKか?(コーディネータ)
-それはかまわないと思う。そうはいっても、みんなそんなに深く考えてコメントしているわけでもない面がある。その点がこの議論の一面の難しさでもある。(参加者4)

-Yさんの記事に対して、いつも勉強させてもらっていますと書く人はいても、「~~のコメントが参考になった」という人はいなかった。それはなぜだろう?(コーディネータ)
-NPの参加者は明らかに右より。そのため、多少、右っぽい発言をしても大きく叩かれることはない。私は社会から右というレッテルをよく張られる。そのため、Yさんには賛同してしまうのかもしれない。(参加者8)
潜在的な人も含めて右の人は、意外にYさんのコメントに賛同するコメントはしないと思う。(参加者9)
-Yさんの場合、思想がどうとかではなくて、現場の生の数値のところ、情報性のところを高評価で、そういったコメントに対しても賛同する人が多いのではないか。(参加者3)
-専門性が高い記事にコメントしないという立ち位置の人もいるが、私は専門外の幅広い記事にもコメントをしている。(参加者4)

 

【3.NP社が考えるコミュニティVSユーザーが求めるコミュニティ(※アジェンダ⑤)】

3-1.NP社・ユーザー間での認識のズレの要因は?
-私は、コミュニティの在り方について話し合いたい。
実は先日例のコンフィデンシャル記事への登場を打診されたのだが、丁重にお断りした。彼らが最近打ち出している「傷つけない」云々のポリシーに、大きな疑問を感じるからだ。あの考え方は、一面大事な要素を持つとはいえ、適切な運営とは全く別問題だと感じている。(参加者10)
-NP社のいう「コミュニティ」とは、そもそも本来の意味でのコミュニティなのかという問題がある。その言葉は盛んに使うものの、コミュニティの内実を掘り下げるような見解はほとんど見当たらず、「匿名排除問題」をはじめ歴史を振り返れば、むしろコミュニティを破壊し続けてきた経緯もある。彼らは、コミュニティを理解しているのだろうか。
その中でも、唯一彼らなりのビジョンを提示しようとする試みが、この間提示されている「コメントポリシー(案)」問題だ。
あれは一種の(ユーザーへの)行動規範だが、非常に特殊な姿をしている。
そもそも、普通の行動規範は、行動そのものに着眼した原則を示す。例えば企業であれば、「顧客第一に行動しよう」とか、「社会に貢献できる企業活動をしよう」というように。ところが、NP社のコメントポリシーはそういう発想ではなく、行動の結果生じる様々な現象の側から恣意的に原則を取り出して規範化しようとしている。例えば、先日のミーティングで梅田社長が言い始めた「傷つけないコメント」とか、「多数の人にメリットをもたらしても、一人が傷つくならこのサイトを閉鎖する」といったように。
このあたりの「違和感」を検討してみたい。(コーディネータ)
そもそも行動があってこその行動規範であり、先に規範を決めて型に嵌めてしまうのはおかしいのではないか? 傲慢さを感じる。(参加者11)
-NP運営とユーザーとの間のずれというのは、NPが実名・顔出しを前提としている一方でユーザーがそれを前提としておらず、それをベネフィットであると思っていない方が多いということから生じている。(参加者8)
-最近運営側が盛んに言い立てている「傷付けない」という規範についてどうか?(コーディネータ)
-これは上から目線でおこがましい。(参加者2)
-誰も傷付かないというのは無理がある。(参加者8)
-逆に、多様性が損なわれる。(参加者7)
-当たり障りのないコメントだけになり、つまらなくなる可能性が高い。(参加者6)
-傷つけないということについて、「傷つけない」ということ自体がものすごく傲慢であると感じる。傷つけないっていうことを言っていること自体が誰かを傷つけるかもしれないし、それは人の価値基準に対して、これは人を傷つけないですよねと押し付けているというようにも聞こえるし、違うのではないかなと思う。
傷つけないというコンセプトはうまくいかないんだろうなと思うし、それを目指すなら私はNPを去る(参加者2)
-極端な話、コンフィデンシャルシリーズでのYさんの記事や、また別の女性を取り上げた「傷つけない」をテーマにした紹介記事は、それだけで人を傷つけているかもしれない。
また、「傷つけない」記事の切り取り方は、NP社の都合のよいように切り取ってると感じられ、それも傷つける要因になっているかもしれない。(参加者10)

3-2.「傷つけないコメント」をユーザーポリシーとすることについて
-匿名だけだと2chと変わらない。実名の方がいるから、信頼できると感じて入ってくるユーザーがいるかなと感じる。(参加者8)
-クレームが多いから、大変なんでその摩擦を減らすために掲げているのかなという気がする。
さらっとしすぎていて、コメントがあってもなくても変わらないと感じて外す人が多いということは聞いたことがある。(参加者3)
-傷つけないコメントばかりだと面白くないということは確かにあるかもしれない。(参加者12)
-以前「傷つけない」記事に出た本人と話したとき、傷つけないということについて、言葉だけが一人歩きしてしまっている、そこまで意図していないと本人は言っていた。(参加者3)
-ご本人がそう言っていたとすれば、それは詭弁であろう。事実、あの記事のコメント欄では「傷つけない論争」が起きていた。(参加者4)
-「傷つけないコメント」ということで、傲慢だなということはその通りだと思う。傷つけないというのは、相手が決めることであり、こちらが決められることではない。
ただ、「傷つけないように」と考えて、配慮してコメントすること自体は良いのかなと感じている。(参加者12)
-単に「誰かを傷つけないように」と考え、配慮してコメントするだけのことであり、それは結果として誰かが傷ついたかどうかとは別のことである。(参加者9)
-「傷つけない」というより、「傷つける意図をもってするコメント」は嫌だなと感じる。(参加者4)
-どれだけ相手を慮って人と接してきて、それでも人に傷つけられることをいっぱい経験してきて、その後にあの記事のご本人がどう変わるのかぜひ見てみたい。いじわる精神は大切。(参加者8)

-批判的なコメントというのは、記事に対してか人に対してか。建設的な批判はあった方がいい。傷つけないか傷つかないかはその人の価値基準次第だ。そこに人が存在しているだけで、誰かが傷つくことだってある。(参加者8)
-ユーザーミーテイングの際、傷つけないためにこういう発信をしようみたいなのはあったのか?(参加者3)
-ない。NP社のポリシーは、コメントという行動の在り方そのものではなく、その結果の中の一事象に過ぎない「傷つく」という現象に基づいて規範を作ろうとしている点で、発想が転倒している。
そもそも「傷つけない」等と言い出したら、人がこの世に存在すること自体が悪ということになる。なぜなら、人が一人存在するということは、必ず誰かを排除することでもあるからだ。まして何らかの発言をすれば、その可能性は格段に上がる。
発言を受け入れ、勇気づけられ励まされる人がいるということは、同時にそれを嫌悪し、その発言によって傷つく人が同じだけ存在する可能性を意味する。
要は、他人の行動や感情を予め支配することはできないし、できないからこそ他者なのだ。自分の思い通りにならない他者がいるからこそ、人生は可能性に満ちていて生きる価値があるともいえる。
それを、他人の感情を100%コントロールできることを前提に行動規範を作るなど、傲慢以外の何物でもないし、結局他者の存在を否定しているのである。
だから、普通は行動する側の主体的原理として規範をつくる。(参加者9)
-人の性格は変えられないが、行動は変えられる。
NP社がやろうとしていることが、行動に着目した取り扱いをするということならまだ理解はできる。でも、結果に着目してやろうとするのは無理がある(参加者4)

3-3.なぜNP社はユーザーポリシーを定めようとするのか?
-やりはじめた頃、ある女性ユーザーのコメントが優等生過ぎてフォローを外してしまったことがある。完璧に左も右も傷つけないというコメントが、NPの目指すところ、梅田社長の理想なのかなと感じた。(参加者6)
-クレームが多いから、大変なんでその摩擦を減らすために掲げているのかなという気がする。(参加者3)
-NP社が実現しようとしているのは、コメントする人というよりも、その残り99%のROMの人に不快感を与えない運営だ。(参加者11)
-ROMの人は、わざわざユーザーポリシーの「傷つけない」という部分を見ない。しかし、パッと見たときに、コメント欄が荒れていて激しい意見ばかり書かれていたら、99%のユーザーは今後入ってきづらくなる可能性がある。(参加者12)
-去年私がやり始めた頃は安保法制等のクリティカルな議論が盛り上がっていて、コメント欄はいい意味で荒れまくっていた。こんなに面白い世界があるのかと感じたほどだ。こんな風にコメントすればよいのかと感じたし、それで参入した人も多かったはずだ。(参加者4)
-2chとかは荒れているが参加者はすごい。クリーンだから参加するとか、ダーティだから参加しないという考えは違うと思う。そういう運営の考え方が間違っている。(参加者11)
-2chは楽しむことを目的をする人が多いが、NPは政治や経済の問題に関心があり、それを理解したいと考える人も多いと感じる。そのため、2chとは異なり、ある程度の信ぴょう性を求めてる人も多い。
NPは実名でやっているので、誤った世論が形成されているということをよく見てきている。例えば、チケットの転売問題がそうだ。(参加者11)
-私はサプライヤーロジックから考えてみていた。
運営がやりたいのは、今コメントしている人たちをたがにはめたい。外国のメディアはNews Weeksは、黒人と白人の問題等でコメント欄が荒れて、訴訟等も起きてどうしようもなくてコメント欄を閉鎖した。(参加者4)
-梅田社長は「傷つけないコメント」とか、多様性を認めると言いつつ、一方では実名匿名を問わず多くのユーザーを排除する措置をやり続けている。そこに、非常に屈折した思考を感じざるを得ない。
それが彼の主体的意志なのか、それとも何らかの「助言者」に盲従しているのか、私たちは真意を理解しなければならない(参加者9)

 

【4.その他の論点】
4-1.おすすめピッカー制度やピッカー紹介について
・一貫して、無難で優等生タイプが選ばれてきた。より正確に言うと、優等生タイプではない人も、恣意的に優等生っぽく切り取られて紹介されてきた。その中で、Yさんの記事は異色ではあったが、よく読むと、やはり大きく切り取られている面もある(笑。(参加者9)
-そのとおり。アイコンも猫だし、ふざけるときはちゃんとふざけるし。野党が初めて当選した時のような感じを受けた。我々の代表みたいな感じで、今回の人選はチャレンジングと感じた。(参加者12)
-人選のところでいえば、これまで選ばれた人はあまりコメントをしてなかった。この前の女の人とか。コンスタントにコメントをしていた方としてあまり例がなく、Yさんが選ばれたのが珍しい。
おすすめピッカーに選ばれたが、気持ち悪いフォローが100~200くらい増えた。(参加者8)
4-2.SNSの衰退の原因
SNSの衰退時に見られる現象として、インターネットのSNSコミュニティに約10年間見てきたが、いずれも衰退する原因となるのが古参のコアユーザーだ。古参のコアユーザーが不平不満を言い、空気が悪くなって新規ユーザーが入ってこなくなることが多い。(参加者1)
4-3.極端なコメント表示操作について
-ミュート数の累積でアルゴリズムを機能させれば、よりコメントをした人ほどミュートは積み重なっていく。
それに、運営がミュートを強調すること自体が、ユーザー文化に影響を与える。ミュートを使えば他ユーザーを抹殺できるということでもあり、ユーザー相互の差別排外意識をいたずらに助長している。(参加者9)

 

以上。
※以下、懇親会へと突入、、、