11月NPユーザーミーティングへの論点整理

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今月末(11/26大阪、11/28東京)、またユーザーミーティングが開かれます。
https://newspicks.com/news/1878453/body/?ref=search
今回は「先着順」ということで、担当小野さんのご配慮もあり参加できることになりました。
このレポートは、限られた時間の中で行われるミーティングを、より充実した濃厚なものにするための論点整理の試みです。

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【1.今回のミーティングの仕組み】
開催要項を見ると、短時間の中に「グループワーク」が採り入れられる等、なにやら新しい趣向(思惑?)が滲み出ています。
これに違和感を持った方も多いようで、コメント欄にもそれに関する様々なコメントが見られました。

そもそも今回の会合は、これに先立って発表された『NewsPicks コミュニティ・スタンダード案 』なるものへのユーザーアンケート(※11/14現在、結果未公表)を踏まえて行われることになっています。
※詳細下記記事参照
https://newspicks.com/news/1845608/body/?ref=user_9324

この「案」に対しては勿論色々言いたいことはあるのですが、それはひとまず置いておきましょう。
要は、今回のミーティングが、それに対するユーザー意見聴取という、非常に限定された建付けになっているということです。
また、当日予定されている「グループワーク」の中身は、そこからさらに限定化されることが示唆されています。

開催要項によれば、グループワークのテーマは、下記であるとされています。
 >>グループワーク形式での意見交換会(NewsPicksをご利用になるなかで、どんなコメントを望ましい/望ましくないとお感じになるか、ご意見をお聞かせください) <<
この「表現」に非常に引っ掛かるものを感じたのは私だけでしょうか?
すぐに思い浮かぶのは、次のような疑問です。

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①なぜ運営側の問題ではなく、ユーザー側のコメントを議論の対象にしようとするのか?
②しかも、コメントに対して、「望ましい/望ましくない」という極めて特殊な見方をするのは、どういうわけか?
③以上を通じて、ここ1年程度の間に蓄積されてきた運営問題に関する対話は、本当に深まるのか?

このレポートでは、差し当たり上記②のポイントについて、詳しく見ていきます。

 

【2.ユーザーコメントへの運営側のスタンス】
ユーザーのコメントに対して、いきなり「望ましい/望ましくない」という色付けをしようとするスタンス、違和感ありますよね(笑。
せめて「好き/嫌い」なら、まだ素直な印象がありますが、明らかにここには何やらいかがわしい含みがあります。

「好き/嫌い」というのは率直な感情表現の問題ですが、「望ましい/望ましくない」はそうではない。
なぜならその背後には、ユーザーコメントに一定の尺度(基準)を当てはめて価値判断をしようとする意図があるからです。
だから、「望ましい」という上から目線の言い方になる。

従って、ミーティング参加者には、そうした予め定められた価値基準によるコメントへの色付け・選別に加担するかどうかが、いきなり踏み絵のように問われているのです。
少なくとも、コメントに関する何らかの「価値基準制定」を受け入れるのでなければ、主催者側はこの議論に参加させたくないわけですね。

これは、本来自由な対話、意見交換の場であるはずのユーザーミーティングの仕掛けとして、相当に閉鎖的です。
しかも、予めアジェンダにこのような表現を用い、参加申し込みをするからにはそれを受け入れたかのようなチェックするようになっています。
つまり、参加者の「自由」は、予めかなり制限されていると言えそうです。

 

【3.会合に向けどう準備するか?】
さて、主催者側にそのような誘導の意図があるなら、こちらもそれを踏まえて準備する必要があります。
より「自由な対話」を深めるには、「望ましい/望ましくない」というフレームワークに出来るだけ絡め取られないようにする必要があります。
しかし、主催者側が進行を取り仕切る限り、彼らはそのフレームワークに参加者を閉じ込めようとしてくるでしょう。
では、どうすればいいのか?
私のアイディアは、その「望ましい/望ましくない」という価値判断に関わる論点を、事前に全て洗い出し、当日はそこからさらに「先」に進んで行かざる得ないようにしてしまおう、ということです。
そこで、その論点整理を、可能な限りここでやってみたいと思います。

 

【4.コメントの価値を決めるのは?】
要は、NPという場において、「良いコメント」とは何かということです。
簡単に言ってしまえば、それは、「多数のユーザーから受け入れられ支持されている」コメントです。
では、「受け入れられ支持されている」かどうかは、何によって検証できるのか?
そう、Likeです。
より多くのLikeが付いているコメントが、差し当たり「多数のユーザーから受け入れられ支持されている」と言える。
しかし、既にお気づきのように、そこには次のような留意点もある。
 ①そもそも、運営部の様々なコメント表示操作によって、コメント欄の公正さに問題がある。
 ②多くの人に受け入れられていると同時に、多くの人に「受け入れられていない」コメントもある。
 ③同じように多くのLikeが付いているコメントでも、内容希薄なものもあれば、深く濃厚なものもある。

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もちろん、①のポイントが大前提の問題として、最も優先度が高いのです。
しかも、最近の表示順操作は、システムのアルゴリズム設定のみならず、運営担当者の恣意的な並べ替え操作も加わり、事態は深刻化の一途を辿っています。
しかし、これを語り始めると膨大になってしまうので、とりあえず今回は横に置いておきます。
むしろ、この点こそ、当事者のNP運営部が参加する当日のミーティングの場で議論するにふさわしい。
ここでは、それ以外の部分をできるだけ埋めておきたいと思います。
そこで、②③に関する論点整理に移ります。

 

【5.どのような判断要素でコメントを読むか?】
ここには、いくつかの重要な軸があります。
私の経験では、大きく次の3つの観点が意識されていると思っています。
 ①論理性、情報性
 ②共感性、内省性
 ③表現上のリテラシー

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一番簡単なのは③で、文章の文法上の正確性、丁寧さ、簡潔性、分かりやすさ、マナーと言った側面です。
これは、当然ですね。
 ※もっとも、この条件をクリアーしているコメントは少数ですが。
①の論理性とは、見解の表明がきちんとした論理展開で支えられ納得性のある表現に仕上がっているか、ということです。
論理性が貧困だと、「なんで、そんなことが言えるの?」ということになり、Likeが付きにくくなります。
また、論理性を支えるもう一つの要素が、情報性です。
広義の情報=ナレッジには、次の4つの階層があります。
 ①データ
 ②狭義の情報(※データの一定の概念に基づく組合せ)
 ③知識・技術(情報の体系的集積)
 ④智恵(知識が豊富な経験を経て練られたもの)

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この階層は、当然下に行くほどナレッジとして深いわけですが、だからと言って①②が軽視されてよいわけではありません。
むしろ、知識や知恵は、その背景に豊富なデータや情報の裏付けがあってこそ、価値が高まります。
したがって、独自に獲得したデータを明示するだけでも、コメントの価値は格段に高まります。

では次に、コメントにおける「共感性」とは実際どのような要素か?
これについては、実例を交えて考えた方が分かりやすいでしょう。

 

【6.コメントの共感性とは?】
論理的思考ではなく感情に働きかける。
これは、私たちが日常の人間関係やコミュニケーションでも、当たり前に意識することです。

では、実際のところ、強い共感を引き出すコメントとは、どんなものなのでしょう?
まずは、最近アッと驚く過激な人生経験のシェアで大量のLikeを集める、W.Mutsumiさんのコメントに学んでみましょう。
※女性の社会進出を拒む意外な盲点、低用量ピル 欧米に比べけた違いに低い服用率、中国・韓国よりも後進国
https://newspicks.com/news/1851015?ref=user_1064706

要は、産婦人科での受診体験のシェアなのですが、その体験を綴るリアルな文章技術が、この人の場合は群を抜いています。
まず、冒頭から「生理痛が酷くて、、、」等という、日ごろよほど親密な関係の女性からしか聞かないようなインパクトある記述で始まったコメントは、産婦人科医との実にリアルなやり取りへと展開され、読む者をぐいぐいと、その独自の世界=Mutsumiワールドへと引き込んでいきます。
最後のとどめは、「事情を説明していたら何だか涙がボロボロ溢れました。」
究極の感情があふれ出した、まさにその瞬間の映像を切り取って見せてくれる、リアルな記述。
ここに及んで、マウスを握る読者の手は、ほとんど発作的にLikeボタンをクリックしてしまうわけですね。
やや不見識な感想を述べれば、もはやこれはコメントにおけるアートの領域です。
記事のPick数48に対してLike数76という驚異的なLike率が、その芸術性を余すところなく証明しています。
そう、このコメントに対してなされた読者のLikeが、なんの見返りも求めない純粋な共感から発せられた心情の吐露であったことは疑いようがありません。

では、そんなアートに精通していない凡人には、共感を引き出すコメントはできないのでしょうか?
決してそうではないと思います。
もう一つだけ実例を見てみましょう。

 

【7.共感と内省の関係】
分析に公正を期するために、その政治的・イデオロギー的立場が私とは極めて遠く、そのため、日ごろ互いにLikeを押し合ったりすることがほとんどない、徐東輝(とんふぃ)さんのコメントを見てみましょう。
※トランプ氏が劇的勝利:一日の動きを振り返る
https://newspicks.com/news/1881986

そう、まだ記憶が生々しい、つい先日のトランプ当選当日の速報記事です。
ここで彼は、アメリカに直接取材に行き、その様子をリアルタイムでコメントして多くのLikeを集めました。
そのLike数、なんと1596!
当日移動中に同じく何度か更新を繰り返した私のコメントは、その10分の1くらいしかLikeが付きませんでした。
 ※もちろん、コメント表示順操作(=運営部による下位表示)の影響はあります。

まず押さえておきたいのは、とんふぃ氏のコメントは、どちらかと言うと「情報性、論理性」でLikeを集めるタイプのスタイルだということです。たぶん、ご本人もそう意識してコメントを書いているはずです。
しかし、この時は少々違いました。
トランプ勝利がほぼ確定的になった段階で、情報的なコメントを整理し、次のような文章を追記してきたのです。

>>所感:Nate SilverやRCPの統計を見、現地のヒアリングも重ねて、それでもヒラリー勝つだろうと言い続けてきた僕は、皆さんに有益な情報をお渡しできていなかった気がしてなりません。先見の明のなさ、メディアに踊らされてしまったことを棚に上げて所感を述べさせていただけるなら、(※以下略)<<

私が見ていた限り、ぐっとLike数が伸びたのは、この「所感」の追記以降です。
ここには、共感性を引き出す重要なポイントがあります。
注目個所は、「有益な情報をお渡しできていなかった気がしてなりません。先見の明のなさ、メディアに踊らされてしまった」
というくだりです。
ここで彼は、自分の情勢分析の至らなさについて、実に素直に見つめ返した内省を吐露しています。
もうお分かりですね?
この自分自身を、弱点もそうでないところも含めて素直に振り返るスタンス、これを私は「内省性」と言っているわけですが、これこそが、読者からの共感を引き出す究極のポイントと言っても差し支えないでしょう。
どんなに論理性に優れ、情報面が豊富なコメントであっても、それだけでは表現としての限界があります。
そこに自分自身はどうなのかという視点が加わってはじめて、私たちは他者とつながる契機を掴めるわけですね。

その意味で、このとんふぃ氏のコメントは、政治的立場はまったく異なるとはいえ、極めて優れたお手本をNPに提供してくれたのではないかと感じました。

 

【8.残された課題】
さて、やや長くなりましたが、ここまでで、最初に挙げたコメント価値をLikeで決定する上での3つの留意点のうち、①以外の課題をほぼカバーしてきました。
 ①そもそも、運営部の様々なコメント表示操作によって、コメント欄の公正さに問題がある。
 ②多くの人に受け入れられていると同時に、多くの人に「受け入れられていない」コメントもある。
 ③同じように多くのLikeが付いているコメントでも、内容希薄なものもあれば、深く濃厚なものもある。

しかし、周知のように、残った①の運営問題は最近益々深刻度を増しており、その重大性は私たちが必死にコメント価値を考え、様々な工夫を行っても、その一切が無効にされてしまうほど暴力的なものです。
例えば、今日(11/14)の朝一番で掲載された下記記事のコメント表示構造を見ても、それは一目瞭然です。
※トランプ次期大統領 「メキシコとの国境に壁築く」
https://newspicks.com/news/1891051?ref=index&block=economic

この記事のコメントにおいて、私のコメントには、他の上位者の数倍に及ぶ230以上のLikeが付与されていますが、掲載当初からコメント表示順が人為的に操作され、時間の経過と共に更に引き下げられて、昼前には遥か下方になりほとんど見えなくなりました。
もちろん、これはアルゴリズムによる自動的な表示順操作だけではなく、運営部の担当者が直接手動で行っているものです。
なぜこのようなことを行うのか、まったく意味が理解できません。
上に見てきたコメント価値に即して誠実に考えても、なんら合理的理由がないからです。
もちろん、NP社の業績がそれによって高まるはずもありません。

これについて、「通報機能」等を使って何度もやめるようNP社長に申し入れていますが、返答もなく、善処されている気配すらありません。
一ユーザーの立場ではもはやどうしようもないので、今回のミーティングを契機に一人でも多くのユーザーに問題を共有いただき、またそれぞれの立場から問題を掘り下げていただきたいと思います。
昨年来長引く運営問題は、もはや共同の力によってしか如何ともしがたいところまで来ています。

議論の切り口が、たとえ運営側によって極めて限定され拘束されたものだとしても、限られた時間をより充実した対話の場にしたいものですね。 

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