「女子力」私論

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昨今なにかと話題の「女子力」について、考えてみたいと思います。
とはいえ、いわゆる女子力そのものではなく、主に女子力という用語について。

差し当たり私の問題意識は、ある意味奇妙奇天烈なこの言葉を、使うべきか否かという点にあります。
結論から言うと、私は割と積極的にこの言葉を使うようにしていて、NPコメントでも何度か書いています。

その際、用法は常に一つだけ。
「〇〇さんは、女子力が高い。」という使い方だけです。
女子力そのものの「中身」を掘り下げたり、論じたり、ましてその是非を問うたりは、一切しません。
では、なぜそうなるのか? あるいは、そうせざるを得ないのか?

◆「女子力が高い」とは?
そもそも、「女子力が高い」とはどういうことを意味するのか?
もちろん、そんなことを厳密に考えて使っているわけではありません。
では、どういう時に使うのか?
無論、その女性を褒めたい時です。

ところが、この女性を褒めるという行為そのものが、実は現代の男には難問なのです。
というのも、現代の精神世界は、いわゆるフェミニズム(≒リベラリズム)に実質的に支配されているからです。
そのため、例えば、女性の顔、容姿、スタイルその他身体的特徴はもちろんのこと、性格(女性らしい優しさ、女性らしい繊細さ、女性らしい気配り、、、、といった)や年齢等男が感じる女性としての属性への賞賛にはじまり、果ては結婚しているかどうか、恋人の有無、子供がいるかどうかに至るまでの人格に関わる属性を取り立てて指摘したり質問の対象にする行為には、常に重大なリスクが伴います。
そう、ことさらその女性の性的側面だけに着眼し、その人のトータルとしての人格を蔑ろにしているというように、ケチを付けられるリスクですね。
このリスクを完全に回避するには、女性としての人格に関係する可能性を孕む発言は一切差し控えるしかなく、せいぜい「今日のお洋服は素敵ですね」等というほとんど毒にも薬にもならないコメントを発するのが関の山なのです。

◆「女子力が高い」の有効性
そこで、この「女子力が高い」の登場となります。
なぜこの用法が便利かというと、次のような理由によります。
 ①「女子力」とはなにか自体が頻繁に議論の対象となっているように、そもそもその用語の定義が極めて曖昧な状況にあり、こう言ったところで何を指しているのか特定できず、従って思わぬ地雷を踏んでしまうリスクが避けられる。
 ②女子力の「女子」という表現が、昨今どういうわけか、中高生から中高年に至るまでの実に幅広い年齢層の女性たちが、自ら自身のことを指す用語として頻繁に使用する傾向があるため、少なくとも「女子」という用語を男が使ったからと言って、女性の性的側面にだけ注目しているとの警戒を呼び起こしたり、まして非難の対象とされる可能性がほとんどない。
 ③もちろんこう言うからには、本音では「顔が好み」とか「性格が好き」、「かわいい」等、有り体に言えば女性への俗物的印象がその深層にあるのだが、そうしたともすると偏見と言われても仕方のない感情の一切を「女子力」という曖昧模糊としたベールの中にきれいに包み込んでしまうことができる。

◆「女子力が高い」の不便さ
しいて言えば、男性同士の会話シーンでしょうか?
例えば、女性を紹介したりする時に、「どんな人なの?」と聞かれれば、何か説明しなければいけません。
ところがここでも、「かわいい」とか「美人」と言ってしまうと、上に書いた対女性におけるのと同様のリスクが発生します。フェミニストは男にもいますので。
それに、「かわいい」等というのはあくまで主観的印象なので、会った後に「全然かわいくない」等との苦情を呼び起こすリスクも少なくありません。
そこで、またまた「女子力が高い」の登場となるわけですが、少なくとも言う側にとっては極めて便利です。
ところが、言われた方は具体的にどういいのかが分からないため、認識欲求における隔靴掻痒状態に陥ってしまう可能性が高いわけです。
まあ、後は互いの信頼関係でしょうか。

◆「女子力」を巡る最新状況
実は先般この件は、朝日新聞の企画コーナーで特集されていました。
そこには例によって、フェミニズム系女性識者のコメントがありました。
それによれば、どうやらこの「女子力」にも、彼女らは既に攻撃の照準を合わせつつあるようです。
いわく、
 「私たち女性は幼い頃から、この曖昧模糊とした"基準"に合わせて、女性らしさを培わなければならないように余儀なくされている。」
 「それは、女性らしい優しさかもしれない。あるいは母性かもしれない。また組織では、女性らしい気配りかもしれない。それが具体的に何かわからないまま、女性は、「女子力」という呪縛の中で成長せざるをえないのだ」
というような論調ですね。
フェミニズムは、性を巡るコミュニケーションと人間心理の奥深くにまで入り込み、どこまでも追いかけてきます。
女性を巡る男側の表現に、「安住の地」はないと考えておいた方が良さそうです。。。