我々はNPに愛を告げた! ~ユーザー無視のサイト運営へ舵を切る、NP運営部へのレクイエム~

忘れもしない去る1月25日、NP運営部はオフィシャルブログ上に『NewsPicks 新コメントポリシーについて』と題する記事を発表し、匿名のみならず実名ユーザーまでも、さらには無料・課金ユーザーを問わず、今後は編集部の恣意によってコメント欄からの特定ユーザーの排除を行うと、高らかに宣言した。
http://blog.newspicks.com/entry/2016/01/25/174614

言うまでもなく、ビジネスには必ず顧客があり、ここの場合それは間違いなくユーザーだ。
もちろん、広告掲載企業も顧客だが、ユーザーがいなくなってしまえば、自動的に広告主も消滅する。
時に記事を読み、時にコメントをし、さらにはコメントを議論や対話にまで発展させる。そうしたNPサイト上での、様々な創意に満ちた活動を行う人々を顧客としてNPは成り立っている。
無料ユーザーも多いが、もちろんそうした人々も課金ユーザーの候補層という意味で、間違いなくNP社にとっての潜在顧客だ。

その顧客を、こともあろうに自らの恣意に基づいて好き勝手に差別選別し、その結果コメントを非表示にし、サイト上での活動に致命的な制限を加えると、今般NP運営部は宣言した。

奇しくも「新ポリシー非適用最終日」となった今日、この運営部方針を実証的に検証し、今後ユーザーである我々が歩むべき道を探っていきたい。

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【本記事のポイント】
①コメント表示順の怪!
 コメント表示順は、一貫して運営部に操作されている
②NP運営部の運営姿勢
 NP運営部は、過去一貫してユーザー軽視の運営を貫いている
③内輪政治にのめり込む運営部
 運営部は、なぜ内輪、ユーザー無視のスタンスを続けるのか?
 そこには、後ろ暗い明確な理由がある
④プロ制度がもたらした「砂漠」、
 プロ制度の本質は「カースト制」と「ナチズム
⑤「新コメントポリシー」の本質
「新コメントポリシー」は、ユーザー分断とナチズムへの突撃ラッパだ!
 「ミュート」による相互監視
⑥ユーザーコミュニティの生み出す価値
 「NPコミュニティ」の価値と、今日の状況
⑦ われわれはNPに愛を告げた!


1.コメント表示順の怪!
まずは、この写真を見ていただこう。
これは、まだ掲載されたばかりの記事だ。

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私のLike数10に対して、「プロピッカー」は6。
にもかかわらず、「プロ」の方のコメントが私より上位に表示され、しかも最上位の「人気コメント」に繰り入れられている。
これが、誰でも知っている、「プロ優遇表示」だ。
厳密には、私の場合は、Like数がプロの倍以上あっても、プロより上位には表示されない。

ネット一般を長年利用している人なら分かるが、この「上位表示」とは、実に重要なことだ。
ネットを情報発信、情報伝達ツールと捉えた場合、とにかく情報が多くの人の目に見えていなければ、全く何もならない。
グーグルやヤフーには、わざわざ有料で検索順位を上位表示するサービスがあるくらいだ。
要するに、ビジネス目的ならお金に換えてでも上位に表示したい。それが、ネットにおける表示順の意味だ。
NP運営部は、その極めて重要な表示順を、一貫して操作し、プロ圧倒的優位の運用をユーザーに強いている。

さらに、次の写真。
これは、いわゆる「中の人」=NP社員との相対的位置の例だ。

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この場合の表示順はさらに滅茶苦茶で、ほとんどLike数は無視で、「中の人」が上位に表示される。
恐らく、「プロ」はまだしも、この「中の人」上位表示を理解できるユーザーは、たぶんほとんどいないだろう。

では、「プロ」ではなく、アマ同士ならどうか? それが次の写真だ。

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これも、たまたま小室氏との比較例だが、他の人でも同じだ。匿名ユーザーでも同じだ。
Like数で上回っている私のコメントが、必ず下位に表示される。
これは、私以外では、あの笠川氏にしか目撃したことのない、極めて稀有な現象。
恐らく、アルゴリズムではなく、運営部が個別に手動操作してこのような「処置」をしていると思われる。
これを称して我々は、「NP内カースト制」と呼んでいる。
そう、ここには運営部による厳然たるユーザー差別選別身分制度、すなわち「カースト制」が存在するのだ。

 

2.NP運営部の運営姿勢
なぜ運営部はこのようなことをするのか?
それは、私には分からない。
運営部に知り合いもいなければ、コンタクトを取ったことも、連絡を取ったこともないからだ。
私からも連絡しないし、向こうからも連絡はこない。
なので、正式名称が運営部なのかどうかも知らない。
ここで「運営」とよく呼ばれているので、仮にそう言ってみているだけだ。

ただ、はっきりしていることはある。
運営部とは、ユーザー(ちなみに、私の場合は課金&実名ユーザー)に対して、このようなことを平気でする組織ということだ。
つまり、ユーザーを人格を持った対等な人間とは、基本考えてはいない。
自分たちの好きなように引き回す。
相手の人格等、まったく想定外なのだろう。

その証拠に、たびたびNP上で起こる様々な問題に対する彼らの対応を思い起こしてみればいい。
例えば、ユーザー間のちょっとしたトラブル。
あるいは、運営方針(例えば、「プロ登用」等)に対する多くのユーザーからの苦情。
そうしたことは頻繁に発生しているし、コメント欄にも多数散見される。
しかも、コメントをよく読むと、そのたびに運営部に別途連絡を入れている人もちょくちょく見かける。
しかし、そうしたユーザーからの要望や苦情に、運営部からなにか見解が表明されたこと等、これまで一度もない。

例えば、プロピッカー制度導入にあたっては、当初「公募」であると告知されていた。
しかし、公募を通じて「プロ」採用された人は結局一人も発生しなかった。
つまり、告知時と登用時で彼らはルールを180度変更しているのだが、それについて多数のユーザーが疑問を呈しても、今日まで運営部は一度もそれに関する公式見解等は表明していない。
さらに「プロ」については、同じ「プロ」の中からも制度への疑問が再三提起されているが、これについても運営部は、だんまりを決め込んだままだ。
要するに、ユーザーに相対する姿勢など、彼らには欠片も存在しない。

 

3.内輪政治にのめり込む運営部
ところがだ、そんなユーザー無視の運営部が、実はごく一部のユーザーとは頻繁かつ緊密にコンタクトを取り合っているらしい。
運営部内に知人がいるというあるユーザーから、こんな話を聞いたことがある。
その人は、ある記事へのコメントを通じて、サイト上で別ユーザーと軽い批判的なやりとりをしたらしい。
そうしたところ、運営部のあるスタッフから、公式にか私的にかは分からないが、こういう趣旨の連絡が来たと言う。
「あなたの名前を出してコメントで批判している人がいるが、なんなら『利用規約違反』ということにして、コメントを削除しましょうか?」
実はこれについては、もう一方の当事者であるユーザーにも確認したのだが、その人のところにはそんな連絡は何も来ていない。「利用規約違反」と言いながら、当の「違反者」に連絡しないとは、一体どういう了見なのだろうか?
つまり、運営部は、予め自分たちを知り合いのユーザーに対しては、その人の立場を過剰に慮った連絡を緊密に取り、格別に優遇しているということだ。
ほぼ同様の話は、別件でも聞いたことがある。

さて、この事実から、なにか連想できないだろうか?
そう、先月ここにも掲載されたNP編集長の佐々木氏は、その講演の中で次のようなことを述べている。
https://newspicks.com/news/1331111?ref=user_713126
「ぜひ、プロピッカーの方々は同じNewsPicksファミリーのようなかたちで、いろんな面でコラボしていきたいと思っております。例えば、我々がエージェントとしてプロピッカーの方々をプロデュースするとか、書籍を出していただくとか、イベントに登壇していただくとか、もしくはみなさんと一緒に作っていただくブランドデザイン広告にもご登場していただくとか、そういったかたちで、プロピッカーの方々との協力を深める。」
つまり、自分たちが金蔓になりうると判断した「プロ」には、コメント契約だけでなく、どんどんビジネスとしての付き合いを深めていくと宣言している。
さらに、先日の『NewsPicks 新コメントポリシーについて』では、その見解を発展させて、次のようなことが書かれていた。
「またこの変更とあわせて、一部の実名ユーザーには「プロピッカー」へのスカウトや、NewsPicks編集部が利用している入稿システムを解放し簡単に記事やオピニオンを投稿できるようにするなど、実名での情報発信をより強力にサポートする仕組みを提供して行く予定です(2016年中に順次実施予定)」
つまり、自分たちが「仲間」と考える特定のユーザーとの関係だけは、どんどん個別に深めていくと明記されている。

これだけ見ると、見ようによってはポジティブなことにも見えるが、実はそのユーザー軽視の裏では、特定の「仲間」「知合いユーザー」との間だけでは緊密なコンタクトが重ねられているわけだ。一般ユーザーからは、まったくあずかり知らないところで。

この一連の事実を検討すると、すでに彼ら運営部が、まともなビジネスとしてのサイト運営を行う意志があるのかが、非常に疑わしい。
というのも、このような行為の延長線上に、とてもNP社の収益拡大や成長が望めるとは思えないからだ。
思うに彼らは、ごく私的かつ恣意的な自己満足の運営に陥りつつあるのではないだろうか?

 

4.プロ制度がもたらした「砂漠」
「プロ制度」とは、一体なんなのだろうか?
日々様々なユーザーから提起され続けるこの素朴な疑問に、運営部はなんら答えようとせず、無視し続けている。
100人いるという「プロ」の中で、ある程度の頻度でコメントをする人は、ごく僅かだ。
さらに、その中で批判に耐えうる一定の価値あるコメントをする人は、さらに一部。
そして、その最後の一部の「プロ」とは、「プロ制度」導入以前から熱心にコメントをしている人たちだ。
ここに、「プロ制度」への根本的な疑問はある。

にもかかわらず、上に見たように、「プロ」コメントは無条件に上位表示される。
多くの非「プロ」ユーザーのコメントを押しのけてだ。
それだけではない。
「プロ」には、それだけの理由で、多くのユーザーが「フォロワー」として割り振られる。
このNP上で、例えば1000人のフォロワーを獲得するのは、大変なことだ。
毎日かなりの量のコメントを、何か月も書き込み続けなければならない。
ところが、昨年10月に「プロ」登用された人々には、その月のうちに、何千何万というフォロワーが付与されていた。
それによって、「プロ」が行ったコメントは、その質の良否に関わらず、そのフォロワーのタイムラインに無条件いばらまかれることになっている。
もちろん、「プロ」のコメントが多くのユーザーに晒される時間だけ、非「プロ」のコメントが閲覧される時間は、トータルとして奪い続けられているわけだ。
「プロ」制度がもたらしたものは、そんな砂漠のような世界だった。

 

5.「新コメントポリシー」の本質
しかし、砂漠すらまだ良かったという、新たな風景が今現実になろうとしてる。
そう、「新コメントポリシー」だ。
砂漠なら、まだ歩いてオアシスを探せば水が飲める。いわば、努力量の問題とも言える。
ところが、新コメントポリシーは、そんな甘い世界ではない。

運営部の恣意と独断によって、コメントが排除・抹殺されるのだ。
「新コメントポリシー」は、主として3つのロジックで成り立っている。
①「実名でのコメント投稿をユーザーの皆様にお願いしたいと考えております。」
②「匿名や通称名であっても、NewsPicks運営側が承認したユーザーのコメントは表示される場合があります」
③「実名であってもミュートされている数が多いユーザーのコメントは、フォロワー以外には表示されなくなる場合があります」
この間のユーザーの反応を見ると、主に「実名か匿名か」だけが、多くの人に意識されている。
しかし、上の3つをしっかり読めば、その本質は全く異なる。
そう、要するに、運営部の恣意と独断で何でもできる、そういう宣言なのだ。
「運営の承認」も、「ミュートの確認」も、一片の透明性もありはしない。
すべて情報を持っているのは運営部だけであり、ユーザー側には判断の根拠やエビデンスは何も見えないのだ。

さらに恐ろしいことは、「ミュートされている数が多いユーザー」というロジックだ。
仮にこれが理屈通りに運用されるとすれば、ユーザー間での“いじめ”や嫌がらせは日常茶飯事のようにはびこることになるだろう。
そう、自分の気に入らない人物は、何人かで結託してミュートすれば抹殺できるからだ。
これは、既に健全なビジネスでもなんでもない。
人々の心に不信感をばらまき、正常な関係を分断する支配・管理手法、即ちナチズムだ。
恐らく、ここに運営部の真の狙いはあるのだろう。
というのも、上にも見てきたように、ユーザー間の関係を分断し、自分たちの「仲間」だけを優遇するサイトを作り上げようとする彼らの姿勢は、一貫しているからだ。

 

6.ユーザーコミュニティの生み出す価値
ところで、ここにしばらく居ついているユーザーなら、NP上に生息するキャラ達のことを、既に何度も目撃しているだろう。
例えば、ナルタント、まれにゃん、kaikeiといった。
彼らは、一種の天才だ。
日々のコメントが優秀なだけではない。ネット上でのキャラ作りの天才と言っていいだろう。

もし、彼らのことを知っているなら、少し考えてみてほしい。
例えば、正社員として採用し、高額の年俸を払い、日々コメントを書かせる。
果たして、どんな高額の報酬を支払えば、彼らのようなクオリティの仕事をしてくれるだろうか?
1000万だろうか? 3000万だろうか?
いや、1億払っても出来ないものはできないだろう。
現に、現状のNP編集部に、そんな才能を持った人材は一人もいない。

とすれば、彼らの才能を生み出している力はなんだろうか?
そう、言うまでもなく、それは、この場の力。
ここの集う人々の繋がりであり、コメントやリアルを通じた交流だ。
それが、時を経るに従い柔らかいコミュニティとなり、彼らキャラ達の「活躍」を生み出しているのだ。

ところが、「新コメントポリシー」によって、運営部は、その力の源泉を破壊し断ち切ろうとしている。
たしか、昔読んだイソップ童話にこんな話があった。
肉をくわえた犬が、橋の上から水面に映った自分の姿を見て、そっちの犬の肉の方が大きく見えた。
それで、その肉を奪うために、吠えて脅かしてやろうとした瞬間、自分の肉を川の中に落として失ってしまうのだ。

「新コメントポリシー」によって、ユーザーコミュニティの破壊を目論む運営部は、まさにイソップ童話の犬だ!

 

7.われわれはNPに愛を告げた!

我々はこれまで、日々書きつらねたコメントを通じて、NPに対して、たしかな愛を告げてきた。
そのことには、自信を持っていい。
明日からはじまる、暴虐の嵐。試練の2月。
もし、そこを生き抜くことが出来たら、また笑顔で語り合おうではないか!


「君はバリケードが三日しか続かないことをもって、国家と人民の共犯関係を告発する。しかし、ちがう。そうではない。バリケードが三日しかもたないのは、蜂起した群集が我身可愛さで秩序に逃れるからではない。人間がそこで、弱い眼には耐えられない真実の輝きに眼を灼いてしまったからなのだ。
 エジプト、ギリシャペルシャ、そして日本にさえも、太陽こそ至高の神と真実の象徴であると信じる人々が存在した。けれども、誰が太陽の輝きを果てしなく凝視し続けうるだろうか。太陽の白熱する光球を直視する者は、ついに眼を灼かれて昏倒する以外にない。真実を見続けうるためには、人間の眼はあまりに弱すぎるんだ。バリケードの経験は、燃えあがる真実であるからこそ三日しかもちこたえられない。
(※中略)
そう、希望はある。身を捨てて、誇りも自尊心も捨てて、真実を、灼熱の太陽を、バリケードの日々を生きることだ。太陽を直視する三秒間、バリケードの三日間を最後の一滴の水のように深く味わいつくすことだ。僕達は失明し、僕達は死ぬだろう。しかし、恐れを知らぬ労働者たちが僕達の後に続くことだけは信じていい。
 叛乱は敗北する。秩序は回復される。しかし、叛乱は常にある。秩序は叛乱によっていつかふたたび瓦解するのだ。永続する敗北それ自体が勝利だ。三日間の真実を生きつくす百世代の試みの後に、いつか、そうだ、いつか強い眼を持った子供達が生まれてくるようになる。そうして彼らは、太陽を凝視して飽くことを知らず、僕たちの知らない永遠の光の世界に歩み入っていくことだろう」
笠井潔作、『バイバイ・エンジェル』)