読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

NPで振り返る2015年Ⅱ~コミュニティ編~

昨夜の投稿は、想定外の反応をいただき、これまでに計122picksとなった。

心から感謝します!
https://newspicks.com/news/1270553?ref=user_713126
狙ったわけではないが、zetumuさん効果は絶大だった(笑。
というか、こっちは別にzetumu論を書いたつもりはないが、無意識にその部分が膨らんでしまったのだ。
それに、京都オフ直前というも、ジャストタイミングだったな。
どうやら、このブログには追い風が吹ているようだ。

というわけで、2度目はぐっとコメントが減ることを覚悟ではじめよう。
本来は、記事の続きを地味に書くつもりだったが、せっかくもらったコメント。
その対応を放置するわけにもいくまい。
そこで、コメントで共通に触れられた“イシュー”を辿りながら、書き始めてみよう。

 

◆ポジション・トーク

一見明快に思われたこのNP用語も、意外にも実は微妙に概念がずれていることが判明。、
常日頃明快なポジショントークを綴っているMW氏はの見解は、やはりいつもながら迷いがない。

ポジショントークという点では、私は、自由で効率的かつ持続性のある健全な競争社会を目指しているつもりである。
某学長さんに近いような気がするが、ホリエモン村上ファンドのような自由競争の逸脱者には厳しいし、最低賃金についても国家の介入は反対している。」

彼にとっては、ポジショントークは、むしろ自明の前提なのだ。
これに比較的似ているのが、帝王・kasakawa氏のコメントだが、より徹底している。

ポジショントークには、金融市場のポジトーークとは別の意味があると、初めて知った。証券市場のポジトーークは騙されると、損害が出ますが、ここで議論に上がるポジショントークは、問題にならない、むしろ有益だと思います。」

彼は、この言葉の本来の出所であるマーケット用語と同じ意味で、ポジショントークを使っているようだ。

次は、いつも非凡な視点の提示を信条としている、もっと自由なピッカーをさん。
「私はむしろzetumu氏は自分の立場が確固たるものになっていて反論、異論に対して二重三重に追記をぶち込んで自説を強化していくスタイル自体はここで定義されるポジショントークの一面を持っていると思ってる。ただ、そのポジションがいわゆる左派の典型的なそれと思わせておいてもう一段ヒネリ、深さがあるので、そこが面白いとは思っている。」

zetumu氏のコメント記述原理をポジショントークであろうと指摘しながらも、私同様、そのポジションの所在は、いまだとらえきれていないようだ。
さらに、もっと自由さんの見解を受けて、mik yamさんは、次のように言う。

「僕ももっと自由なピッカーをさんと同じく、zetumuさんのコメントにはある種のポジショントーク、と言うか自分の大事にしている価値観や哲学的な部分はあると思います。」

ここで、ようやく本質にたどり着いたようだ。
そう、「自分の大事にしている価値観や哲学」、これは誰にでもある。
で、ポジショントークの特徴は、その「自分の大事にしている価値観や哲学」が、ある種のイデオロギー的立場(政党とか、宗教とか)にからめとられて、肝心の個人としての主体的な思想を見失ってしまっている状態だ。
つまり、人は単純にポジショントークをする限りは、主体的思考を喪失するリスクに、いつも晒されている。

そういうことも踏まえて、独苦田亜氏のコメントが印象的だ。

「匿名肩書き不明の人のコメントが割と好きです。理由は田添先生仰るように、守るべきポジションがそもそも存在しない(風に見える)」

守るべきポジションを持たないこと、そう、そういうコメントは共感を誘発しやすい。
そして断言するが、コメントの共感性こそが、Likeへの最短距離だ!

 

◆自己開示

ポジションを持たないこと、あるいは、実は持っていてもさしあたり表に出さないこと。
その非ポジション的コメント=表現を推し進めると、果たしてどうなるか。

そう、自己開示だ。
ありのままの自分を、惜しげもなく公衆の面前でさらけ出す。
自分の日常生活、経歴、仕事、恋愛、失恋、、、何でもいい。
しかし、一番効果的な(何のために?)自己開示材料は、自分の“弱み”だ。

と言えば、それをもっとも得意、いや、もっとも美しくやってみせてくれるNPのプリンセス。
みなさん、今夜も読みましたよね?
そう、nyaspaperの記事。
え? まだ? そんなことでは、Like獲得は覚束ないぞ!

http://www.nyaspaper.com/?p=4409

f:id:sophiaconsul:20151127225745p:plain

はっきり言って、ここまでできれば、もうあなたはすぐにビッグボーナス状態。
つまり、LIke取り放題だ。
ところが、人間、大体において、自分のことは隠そうとするもの。
とりわけ、自分の弱点や、自分の問題点は、無意識のうちに隠してしまう。
いやそれどころか、自分の問題を他人のせいにする不届き者も、この世には多いのだ。
しかしそれでは、単なる普通の人。面白くもなんともない。
したがって、Likeも獲得できないということになる(だから、一体何のために?)。

そこで、自己開示が苦手なあなたは、ぐっとレベルと落として、最近売り出し中のナルタントあたりを参考にしてみるもの一法だろう。

そう、彼こそは、言わずと知れたNPの自分語り王。
例えば、これなんか、どうかな?

https://newspicks.com/news/1260186?ref=search_138449&keyword=さゆり&tab=comment

f:id:sophiaconsul:20151127225829p:plain

まさに、「自分語り」の極致!
くだらないと、侮るなかれ。
この男は、朝から晩まで、1日8時間以上をこの調子で自分語りに費やしながら、下手をするとすぐに50や60Likeを獲得してしまう。
それを積み重ねて行った結果、ついに最近、某学長氏さえもランキングで抜き去ってしまうという快挙を成し遂げたのだ。
で、彼がやっていることは何か。
そう、それはただ一つ、自己開示。これだけなのだ。
ちなみに、この男のほかのコメントを参照したい場合は、“コンビニ”“タワマン”“スタバ”“非リア”といった特有のキーワードを検索に叩き込めば、たちどころにモリモリと過去記事が出てくる。
なので、検索にはまったく手間が掛からない(笑。

 

◆コミュニティ

さて、そうして自己開示と共感を軸にして、今日も押し続けられるLike。
単にPCのマウスをクリックする、スマホをタップする、それだけのことなのに、その集積の先に一つのコミュニティが見えてくる。

たしかなことは、ここNPの記事には、表メニューと裏メニューがある。
表は、表に載っている記事。裏は、載ってはいないが、タイムライン等で共有されるマイナーな記事。
ただ、その本質は、表であるか裏であるかにあるのではない。

こういう言い方ができるかもしれない。
ここ(NP)の「優位性」は、コメントする人々が「コンテンツ的コメント」(※ここに挙がる記事内容へのコメント)だけでなく、「プロセス的コメント」(※コメントする自分達自身の姿勢や、やり方、流儀等への内省のコメント)を頻繁に行う、非常に重層的な空間が実現していることだ。
その二重性が、NPに自ずとコミュニティ的性質を与えている。

コミュニティ性につながるプロセス的コメントは、比較的「裏メニュー」で行われやすい。
あるいは、プロセス的コメントだけが集まった裏メニューもできてしまうくらいだ。
その象徴が、最近一世を風靡したkaikeiブログだ。

ちなみに、当のkaikeiは、昨夜の私の記事へのコメントで、こうのうたもうている。
「おい!田添ッチ!この話法は田添ッチご指摘のkaikeiスタンスではないのか?みんなの話(今回はzetumu)をまとめながら自分はあくまで司会者スタンス。」
さすがはkaikei、よくぞ見抜いたと言いたいところだが、私には別にそんなつもりはない。
つまり、穿ち過ぎだ。

ただ、裏メニューで醸成されつつあるコミュニティ性の中に、多くの人々がNPの可能性と価値を見出していることも、また、昨夜のコメントから明らかだろう。

そのコミュニティのビジョンをよりリアルに見つめるべく、またの機会に振り返りをつづけるとしよう。