ダイバーシティ異論

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◆前回のおさらい


しつこく、前回(『女子力私論』)の続編です。
 https://newspicks.com/news/2024717?ref=notification
ただ、話は一気に展開して、ダイバーシティ(多様性尊重)論に移ります。

まず前回述べた見解を自己否定するようですが、私は本音では「女子力」等という用語は使いたくありません。
あんな意味すらあやふやな言葉を使うのは、はっきり言ってまっぴら御免です。
現代の状況の中では、悲しいかな「よりまし」というだけのことでした。

そもそも、なぜ女性を褒めるのに持って回った言い方に煩わされなければならないのか?
本来かわいいと思えば「かわいい」、美しいと思えば「美しい」と率直に述べればいいだけのことです。
その事情は前回詳しく書いたわけですが、リスクがあるからでした。
とりわけ、フェミニズム的なメンタリティの影響によるリスクです。
女性を女性として褒めることで、なぜか「女性の性的側面だけに殊更注目し、性的に一面化する差別的意図がある。」との言い掛かりを付けられたくないがための苦肉の策でした。

では、女性の女性性に注目した率直な言葉を述べるのは、性差別なのでしょうか?
今回は、この根本的な疑問を、ダイバーシティの観点から検討してみたいと思います。

 

◆昔の出来事


話はぐっと過去に遡りますが、学生の頃、身障者の介護ボランティアに関わっていたことがありました。
実際に知的障害者の男の子の介護に参加したこともあります。
夏休み等、その小学生の子が学校に行かない時、お母さんが仕事に出ている間、面倒を見ているわけですね。

そういうボランティアをする緩やかなグループがありました。
私の場合は元々意識が低いので、自分から主体的にこういう活動をしていたわけではなく、大学の先輩に極めて熱心に取り組んでいる女性がいて、半ば「強制的」に参加させられていただけですが。。。

ある時、そのグループで事件が起きました。
同じくボランティアグループのメンバーだった他大学の学生(※仮にA君とします)が、介護に入っていた重度身障者の女性を妊娠させてしまったんですね。
当時女性と満足に付き合った経験も少なかった私には、これは極めて衝撃的な事件でした。

しかし、そこで私の脳裏に浮かんだ正直な思いは、意外なものでした。
簡単に言うと、A君への「尊敬」の気持ちですね。
分かると思いますが、重度身障者の人の姿や振る舞いは、健常者とは明らかに異なります。
四肢の動作が障害で著しく制約されるだけでなく、顔の表情も自由にコントロールできません。

当時の私は、はっきり言って差別意識の塊だったと思うのですが、そういう障害者女性を恋愛対象とは全く捉えていませんでした。
そのことに、この事件に接して思い当たったんですね。
それなのにA君は、その障害者女性を、健常者女性と何の分け隔てもなく認識し、全く対等な異性として接していたわけです。要するに、「女性として見ていた」わけです。
なんと美しい、純粋な心でしょう。
この時ほど、私は自分の偏見と不明を恥じたことはありません。

 

◆本当に多様性を尊重するとは?


さて、フェミニズムに支配された現代社会では、接する女性に年齢も家族構成も訊かず、女性性にだけ着目した(あるいは着目していると誤解される恐れのある)質問は一切発することなく、当たり障りのない、相手を不快にする可能性が全くないコミュニケーションに徹することが、女性を尊重する大人のスマートなコミュニケーションとされています。

そうしたフェミニズム思考はやがてダイバーシティ論と結びつくようになりました。
性差に触れて「性差別」と誤解される恐れのある言動、また組織においては差別と受け取られかねない施策や処遇は一切除去しなければならない約束の中に、私たちは生きています。
それどころか、ポジティブアクションということで、性差別が生じかねない環境や状態そのものを積極的に取り除いていく努力すら求められるようになっています。
企業では女性管理職比率の目標が設定され、国レベルでも何年か後に女性管理職比率を3割に引き上げると言っています。

さて、そのように腫れ物に触るようにして人間関係を切り結ばなければならない状況。
それで世の中が良くなるならいいのですが、婚期は遅れる一方、婚姻率は下がる一方、そして少子化には全く歯止めは掛かりません。
日本は少子高齢化と人口減少、そして子供たちの未来を真っ暗にする道をひた走っています。

そんな時、遠い記憶の中にあるA君のことを思い出さずにはいられません。
自分の思いに真っすぐで、その思いのままに他者に接していたA君。
障害者への偏見になど全く惑わされることのなかったA君の気持ち。
「かわいい」とか「きれい」とか、この社会で記号化された女性の「特性」=男側の思い込みともまったく無縁の世界に、彼は生きていました。
その率直さを、そして純粋な心を忘れないようにするのでなければ、いかなる多様性尊重も、社会変革も意味はなさないだろうなと、時々思うのです。

「女子力」私論

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昨今なにかと話題の「女子力」について、考えてみたいと思います。
とはいえ、いわゆる女子力そのものではなく、主に女子力という用語について。

差し当たり私の問題意識は、ある意味奇妙奇天烈なこの言葉を、使うべきか否かという点にあります。
結論から言うと、私は割と積極的にこの言葉を使うようにしていて、NPコメントでも何度か書いています。

その際、用法は常に一つだけ。
「〇〇さんは、女子力が高い。」という使い方だけです。
女子力そのものの「中身」を掘り下げたり、論じたり、ましてその是非を問うたりは、一切しません。
では、なぜそうなるのか? あるいは、そうせざるを得ないのか?

◆「女子力が高い」とは?
そもそも、「女子力が高い」とはどういうことを意味するのか?
もちろん、そんなことを厳密に考えて使っているわけではありません。
では、どういう時に使うのか?
無論、その女性を褒めたい時です。

ところが、この女性を褒めるという行為そのものが、実は現代の男には難問なのです。
というのも、現代の精神世界は、いわゆるフェミニズム(≒リベラリズム)に実質的に支配されているからです。
そのため、例えば、女性の顔、容姿、スタイルその他身体的特徴はもちろんのこと、性格(女性らしい優しさ、女性らしい繊細さ、女性らしい気配り、、、、といった)や年齢等男が感じる女性としての属性への賞賛にはじまり、果ては結婚しているかどうか、恋人の有無、子供がいるかどうかに至るまでの人格に関わる属性を取り立てて指摘したり質問の対象にする行為には、常に重大なリスクが伴います。
そう、ことさらその女性の性的側面だけに着眼し、その人のトータルとしての人格を蔑ろにしているというように、ケチを付けられるリスクですね。
このリスクを完全に回避するには、女性としての人格に関係する可能性を孕む発言は一切差し控えるしかなく、せいぜい「今日のお洋服は素敵ですね」等というほとんど毒にも薬にもならないコメントを発するのが関の山なのです。

◆「女子力が高い」の有効性
そこで、この「女子力が高い」の登場となります。
なぜこの用法が便利かというと、次のような理由によります。
 ①「女子力」とはなにか自体が頻繁に議論の対象となっているように、そもそもその用語の定義が極めて曖昧な状況にあり、こう言ったところで何を指しているのか特定できず、従って思わぬ地雷を踏んでしまうリスクが避けられる。
 ②女子力の「女子」という表現が、昨今どういうわけか、中高生から中高年に至るまでの実に幅広い年齢層の女性たちが、自ら自身のことを指す用語として頻繁に使用する傾向があるため、少なくとも「女子」という用語を男が使ったからと言って、女性の性的側面にだけ注目しているとの警戒を呼び起こしたり、まして非難の対象とされる可能性がほとんどない。
 ③もちろんこう言うからには、本音では「顔が好み」とか「性格が好き」、「かわいい」等、有り体に言えば女性への俗物的印象がその深層にあるのだが、そうしたともすると偏見と言われても仕方のない感情の一切を「女子力」という曖昧模糊としたベールの中にきれいに包み込んでしまうことができる。

◆「女子力が高い」の不便さ
しいて言えば、男性同士の会話シーンでしょうか?
例えば、女性を紹介したりする時に、「どんな人なの?」と聞かれれば、何か説明しなければいけません。
ところがここでも、「かわいい」とか「美人」と言ってしまうと、上に書いた対女性におけるのと同様のリスクが発生します。フェミニストは男にもいますので。
それに、「かわいい」等というのはあくまで主観的印象なので、会った後に「全然かわいくない」等との苦情を呼び起こすリスクも少なくありません。
そこで、またまた「女子力が高い」の登場となるわけですが、少なくとも言う側にとっては極めて便利です。
ところが、言われた方は具体的にどういいのかが分からないため、認識欲求における隔靴掻痒状態に陥ってしまう可能性が高いわけです。
まあ、後は互いの信頼関係でしょうか。

◆「女子力」を巡る最新状況
実は先般この件は、朝日新聞の企画コーナーで特集されていました。
そこには例によって、フェミニズム系女性識者のコメントがありました。
それによれば、どうやらこの「女子力」にも、彼女らは既に攻撃の照準を合わせつつあるようです。
いわく、
 「私たち女性は幼い頃から、この曖昧模糊とした"基準"に合わせて、女性らしさを培わなければならないように余儀なくされている。」
 「それは、女性らしい優しさかもしれない。あるいは母性かもしれない。また組織では、女性らしい気配りかもしれない。それが具体的に何かわからないまま、女性は、「女子力」という呪縛の中で成長せざるをえないのだ」
というような論調ですね。
フェミニズムは、性を巡るコミュニケーションと人間心理の奥深くにまで入り込み、どこまでも追いかけてきます。
女性を巡る男側の表現に、「安住の地」はないと考えておいた方が良さそうです。。。

【第3弾!】三浦半島ハイキングオフ(非公式)

こんばんは!
前回の北高尾オフは、東京に50年振り降った雪に紅葉が重なるという願ってもないコラボレートに恵まれ、高満足度の中完了しました。
 ※参加者全員によるリレーレポートはこちら↓
  https://newspicks.com/news/1917024

年頭に当たり山オフ新年会も考えましたが、「最初はやはり山で!」ということで第3弾企画です。
時節柄、暖かな三浦半島の低山コースを計画しました!
しかし、これが意外や意外、、、、

お忙しい時期ですが、お時間を捻出できる方は、ぜひご参加を検討ください。

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           記

【開催コンセプト】

三浦半島特有の自然を満喫
 冬でも陽射しが沢山降り注ぐ暖かい三浦半島
 その南端エリアを、軽い山登りを交えて満喫します。
城址公園の歴史、意外にちょっと手ごわい起伏、武山からの眺望、広大なキャベツ畑、季節外れの三浦海岸の砂浜、そして温泉。
 麗らかな陽光の下でのハイキングでの心身をリフレッシュ! 新たな1年の英気を養います。
②参加者のペースで
 普段多少運動をしている人なら全く心配無用の安心安全コースです。
 とはいえ、参加者間で微妙に異なる体力がペースをカバーするため、小休止を頻度多く設定し、ペースは一番遅い人に合わせます。
③好眺望
 メイン目標の武山は見晴らしが利き、冬場は相模湾越しの富士山が眺望できます。
④歩き時間は3時間くらい
 所要時間は、およそ半日くらい。
 市街地が近いので、万一の途中リタイアでもリスクはありません。
⑤最後は温泉で疲労抜き
 ホテルマホロバの日帰り温泉は、施設充実の温泉浴場です。

 

【開催要項】
◆日程
 1月14日(土)、午前からお昼頃
◆場所
 三浦半島南部の山道
◆集合
 JR横須賀線衣笠駅改札前、8:00集合
  ※一応東京区部からも、到達可能な時間です。
  ※但し、品川駅からの電車乗車が長いので、東京方面参加者は連絡を取り合い、品川駅15番線発6:43久里浜行ホームに集合予定。
  ※移動は必ず電車で。集合地点には戻りません!
◆定員
 特になし。ただ、山行の特性上、6-7名を超える場合は締め切ることがあります。
◆参加表明(お申込み)
 田添のプロフィール記載メルアドまでご連絡を。お名前(実名、HN)明記。
 ※他の方の参考になりますので、コメント欄にも極力参加表明を。
◆最終開催見極め
 前日夜7時の天気予報で最終的に決定します。
 雨予報の場合は、残念ながら中止します。

【コース】
基本、下記①~③で進みます。
衣笠駅衣笠山公園・衣笠城址(約1K、20分くらい)
衣笠山公園⇒武山(標高約200M、約3k・1時間半くらい)
③武山⇒キャベツ畑⇒三浦海岸の砂浜⇒ホテルマホロバ日帰り温泉(4キロ、1時間くらい)
 ※当たり前ですが、全行程歩きます。
 ※標高が極めて低いですので、山登りのご経験ない方でも全く問題ありません。
 ※岩場、鎖場、ロープ場、崖登り等、ありません!
 ※ただし、コース上にコンビニ、売店等ほとんどありません。

【装備の目安】
◆登山用バックパックの出来るだけ小さいもの。本格的リュックは重いので不可。
◆バックパックの中身
 ①雨合羽 ※登山用の軽いものがベストだが、百均で売っている程度でもOK。
 ②ハンドタオル
 ③着替え ※なくてもOK。※汗かきの人は、Tシャツ、パンツ、短パン程度を小さく畳んで持参。
 ④給水  ※500ペットボトル1本でOK。但し、途中売店なし。
 ⑤補給食 ※補給用ジェル1個。スーパーで88円くらいで売っているものでOK。
      ※沢山持たないこと。
 ⑥現金  ※適宜。ジップロックのような防水の袋に入れてください。
      ※財布は荷物になるので不可。
 ※※その他、余計なものは極力持たないこと。以上の重量目安2k程度。
◆シューズ:トレランシューズが最適だが、ごつい目のジョギングシューズでもOK。
      ※履きなれていないシューズは肉刺の原因になるので不可。
      ※ロード区間も多いため、本格登山靴は不可。
◆服装  :上~Tシャツに長袖の重ね着+ウィンドブレーカー程度でOK。
      下~ランニングタイツが最適だが、Gパン程度でもOK。
      ※帽子、ネックウオーマー、薄手の手袋、アームウオーマー等体温調節可能なグッズ推奨。
      ※当日の気温及び風予報に注意のこと。
◆その他 :ご不明点は、申込時のメールに記載してください。


以上。

 

※広大なキャベツ畑

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※三浦海岸の砂浜

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※ホテルマホロバ

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12.19NP自主ユーザーミーティングの対話録

【開催概要】
◆開催日時:2016年12月19日 19時〜21時
◆場  所:新宿野村ビル・野村コンファレンスプラザ
◆参加者 :12名のNPユーザー ※大半が11/28Mtg.参加者
       ※NP社スタッフにも、前もって打診するも「業務多忙」を
        理由に参加を断られる。
◆開催趣旨:11/28Mtg.内容を踏まえた対話の深耕
◆事前準備アジェンダ
 ①あらためて、「長谷川氏問題」とは?
 ②ユーザー階級制の妥当性と妥協点は?
 ③純粋「コメント論」、または純粋コメント論批判
 ④ビジネスとしての運営原則VS非ビジネスとしてのコメント
 ⑤NP運営主導「コミュニティ」VS本来のコミュニティ
 ⑥NPにどう関わり、何を得るか?
  ※結果的に、このうち⑥③⑤を中心に議論。
◆運営体制
 -議長:渡邊
 -書記:辻本
 -コーディネート:田添

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-6つのテーマを用意したが、どれから議論したいか?(コーディネータ)
-ぜひ、⑥のNPへの関わり方から話してみたい(参加者1)

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【1.NPにどう関わり、何を得るか(※アジェンダ⑥)】

-NPにどう関わり、何を得るか?  まず前提として3タイプの関わり方がある。 ①ROM ②記事を上げるpickする ③コメントする。①が一番多く、②③は少数と言われる。(コーディネータ)
-実益である。ツイッター等と違ってプラットホームとしての性質があるため、政治経済等クリティカルなテーマに関する他者の本音の見解に触れられるのが魅力。また、自分の本音をアウトプットする練習の場としても貴重。(参加者2)
-自分の業界にかかわる見解を確認することができる情報取得の手段。(参加者3)
-記事を読んだらコメントする。自分が何を読んで自分の考えをコメントする。1日5コメントくらい。(参加者5)
-込み入ったコメントというのは裏付け。政治問題が多い。新聞に対する不信感を抱くようになり、他のかたのコメントを参考にしている。実益にも役立っている(参加者6)
-プラットフォームの運営。NPの運営のやり方や、例えばコメントのアルゴリズム一つとっても参考になる。Twitterは自分が安全な場所にいる前提で、自分を守っているコメントが多い。NPは自分の投げ込んでいる人が多い。(参加者1)
-9割は娯楽でやっている。他の方の意見を参考にして、色々な考え方を知る。実名で出すのはリスクが非常に大きい。コメントで自分のコメントが批判する。価値基準・思想・立ち位置が問題になるような濃い記事には深入りしないようにしている。(参加者7)
-アウトプットする場所がないので、そのために利用している。自分のメモ書きで使っていく。(参加者12)
-では、話の流れで、③のコメント論に展開してみよう。(コーディネータ)

 

【2.純粋「コメント論」について(※アジェンダ③)】
※このタイトルでの「純粋」とは、コメントを分類し評価するにあたって、コメントそのもの以外の要素(※記事内容や、場の運営の仕方等)もあるが、そうした要素を一旦「中立」として、コメントそのもの及びコメント間の関わりだけを考慮して検討する意。


2-1.コメントへの関与スタイル類型(※マトリクス図参照)

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-マトリクス図の構成は、「横軸」に<情報性指向・学習指向⇔娯楽指向・厭世指向>を取り、「縦軸」に<言論指向⇔ROM、ミーハー>を置いて4象限に分類したもの。
ユーザー分類ではなく、あくまでコメントの分類のため、一人のユーザーが複数の象限にまたがるコメントをしているのが通常の現象である。ただし、個々人によって、その「分布」には一定の傾向もある。例えば、言論指向で政治的発言ばかりをする傾向のユーザー(第2象限中心)もいれば、2ちゃん的なつぶやき的コメントばかりを行う人(第3象限中心)もいる。(コーディネータ)
-ROMの人は右下の人が多い。オフ会に行っている人はROM専の人が多い。ピックだけしている人は多い。学生さんが増えている。(参加者3)
-人となりが分かる人や専門性がある人のコメントが見たい。他のSNSでは、このようなコメントが見れるようなものはない。(参加者7)
-青や赤のところは意味があるか?(参加者1)
-青はその周辺にあるスタンスを集約した表現。赤(「通報・苦情」陰口指向)は推測の部分。コメントを書かないで、NP社に通報する人がいると推測している。(コーディネータ)
-コメント欄に書かずにこっそり通報する方も多いのではと思う。(参加者12)
-サイレントクレーマーがいる。(参加者11)

2-2.それぞれのコメントスタイル
-どのようなスタンスでコメントしているか?(コーディネータ)
-私は自分のことを語るのを軸にコメントしている。その際の留意点としては、①他者への抑圧作用を持たない、②場を損なわない、③付加価値を持たせる、の3点を意識している。(参加者4)
-堀江氏の(しばしば暴言・中傷を含む)コメントに、なぜあんなに沢山Likeが付くかは、皆不思議に思っている。(参加者5)
-その仕事や専門性という観点から「ピッカー」としてだけ見ており、「我々の代表」という感覚がかなり広く存在する(参加者2)
-彼のコメントほど、好き嫌いが著しいケースも少ない。(参加者3)
-彼のコメントへのスタンスを通じて、その人の価値観があぶりだされるとも言える(参加者6)

2-3.具体例からのコメントスタイル考察
-先日(12/17付)掲載されたLAコンフィデンシャル・Yさんの記事は、彼の人気もあり多くのピックが集中した。
https://newspicks.com/news/1955612
現在、ピック数565、コメント数は匿名を除くと100くらい。
多くの人がリアルタイムでこの記事をコメントを含めて読んでいるので、これを題材にして、コメントスタンスを具体的に検討してみよう。コメント欄を見て印象的なところは?(コーディネータ)
-Yさんのコメント人気は、情報性。数少ない飲食業界の現場から見た詳細な1次情報をコメントしてくれる。(参加者7)
-まさに内省的発言である。生い立ちや心情の発露コメントは、人と成りが垣間見える。
「コメントにコメントしない」というポリシーが共感を得ている面もある。批判的にコメントにコメントをすると他のユーザーもコメントしにくい雰囲気が出てしまう。(参加者8)
-Yさんの人柄に触れているコメントが多かった。(参加者12)
-そのとおり。それも含めてのこと。アイコンも猫だし、ふざけるときはちゃんとふざけるし。野党が初めて当選した時のような感じを受けた。我々の代表みたいな感じ。今回の人選はチャレンジングだと僕は感じた。(参加者11)
-人選で言えば、これまで選ばれた人はあまりコメントをしてなかった。この前の女の人とか。コンスタントにコメントをしていた人としてあまり例がなく、Yさんが選ばれたのが珍しい。(参加者9)
-というか、偉い人なのに低い目線でコメントをしてくれている。みんなと同じ目線でコメント(参加者11)
-好き嫌いが出ている。Yさんは温かい人なんだとコメントしている人は感じているよう。(参加者7)
-好き嫌いでコメントしている人が多いということ?(コーディネータ)
-コメントするときは少なからず好き嫌いが出ると思う。Yさんを好きな方が多いのが、コメントに表れているように感じた。(参加者7)

-一部嫌いな人もいたようです(笑。(参加者9)
-ある意味異質な人たちがあぶり出されたなという感じを受けた。特に3人。(参加者4)
-あと一人長文コメントがいた。そのうち一人は実はYさんのことが好きで、Yさんから嫌われているのが悲しいのだろうと感じる。(参加者9)
-嫌っていない。私は人のことを嫌わない。相手にしていないだけだ。
記事に対して批判をされるのはかまわない。ただ、挙げた人たちはコメントに対してコメントをする人たち。コメントに対してコメントをするのはやめろとずっと思っている。自分でセルフピックした記事をたたかれてということならしょうがないが。(参加者4)
-とはいえ、その「しょうがない」という論理を、実は皆それぞれ持っている。コメントにコメントしている人たちも、自分の考える「しょうがない」理由があるから、コメントにコメントしているわけだ。Yさんのロジックは、Yさんのまろやかさに包まれているからみんなに受け入られているが、現実問題として「コメントにコメントすべきでない」という言及の仕方で、実質的には結構多くのコメントにコメントしてしまっているパラドクシカルな面もある。(参加者9)
-コメントに対してコメントをすると、他の人にとって有益な面がなくなる。生産性がなくなる。これから書こうかなと感じている人に対して、こんなこと言われるなら書くのをやめようかなと委縮が生じる。それは良くない。(参加者4)
-つまり、①コメントは付加価値を持つことが必要、 ②場を損なうのはよくない、ということか?
例えば、議論が活性化するなら、他人のコメントに言及するのもありだと?
付加価値という観点から言えば、「このコメントはためになるから読んでみて!」というのも、コメントにコメントしてるが、それもOKか?(コーディネータ)
-それはかまわないと思う。そうはいっても、みんなそんなに深く考えてコメントしているわけでもない面がある。その点がこの議論の一面の難しさでもある。(参加者4)

-Yさんの記事に対して、いつも勉強させてもらっていますと書く人はいても、「~~のコメントが参考になった」という人はいなかった。それはなぜだろう?(コーディネータ)
-NPの参加者は明らかに右より。そのため、多少、右っぽい発言をしても大きく叩かれることはない。私は社会から右というレッテルをよく張られる。そのため、Yさんには賛同してしまうのかもしれない。(参加者8)
潜在的な人も含めて右の人は、意外にYさんのコメントに賛同するコメントはしないと思う。(参加者9)
-Yさんの場合、思想がどうとかではなくて、現場の生の数値のところ、情報性のところを高評価で、そういったコメントに対しても賛同する人が多いのではないか。(参加者3)
-専門性が高い記事にコメントしないという立ち位置の人もいるが、私は専門外の幅広い記事にもコメントをしている。(参加者4)

 

【3.NP社が考えるコミュニティVSユーザーが求めるコミュニティ(※アジェンダ⑤)】

3-1.NP社・ユーザー間での認識のズレの要因は?
-私は、コミュニティの在り方について話し合いたい。
実は先日例のコンフィデンシャル記事への登場を打診されたのだが、丁重にお断りした。彼らが最近打ち出している「傷つけない」云々のポリシーに、大きな疑問を感じるからだ。あの考え方は、一面大事な要素を持つとはいえ、適切な運営とは全く別問題だと感じている。(参加者10)
-NP社のいう「コミュニティ」とは、そもそも本来の意味でのコミュニティなのかという問題がある。その言葉は盛んに使うものの、コミュニティの内実を掘り下げるような見解はほとんど見当たらず、「匿名排除問題」をはじめ歴史を振り返れば、むしろコミュニティを破壊し続けてきた経緯もある。彼らは、コミュニティを理解しているのだろうか。
その中でも、唯一彼らなりのビジョンを提示しようとする試みが、この間提示されている「コメントポリシー(案)」問題だ。
あれは一種の(ユーザーへの)行動規範だが、非常に特殊な姿をしている。
そもそも、普通の行動規範は、行動そのものに着眼した原則を示す。例えば企業であれば、「顧客第一に行動しよう」とか、「社会に貢献できる企業活動をしよう」というように。ところが、NP社のコメントポリシーはそういう発想ではなく、行動の結果生じる様々な現象の側から恣意的に原則を取り出して規範化しようとしている。例えば、先日のミーティングで梅田社長が言い始めた「傷つけないコメント」とか、「多数の人にメリットをもたらしても、一人が傷つくならこのサイトを閉鎖する」といったように。
このあたりの「違和感」を検討してみたい。(コーディネータ)
そもそも行動があってこその行動規範であり、先に規範を決めて型に嵌めてしまうのはおかしいのではないか? 傲慢さを感じる。(参加者11)
-NP運営とユーザーとの間のずれというのは、NPが実名・顔出しを前提としている一方でユーザーがそれを前提としておらず、それをベネフィットであると思っていない方が多いということから生じている。(参加者8)
-最近運営側が盛んに言い立てている「傷付けない」という規範についてどうか?(コーディネータ)
-これは上から目線でおこがましい。(参加者2)
-誰も傷付かないというのは無理がある。(参加者8)
-逆に、多様性が損なわれる。(参加者7)
-当たり障りのないコメントだけになり、つまらなくなる可能性が高い。(参加者6)
-傷つけないということについて、「傷つけない」ということ自体がものすごく傲慢であると感じる。傷つけないっていうことを言っていること自体が誰かを傷つけるかもしれないし、それは人の価値基準に対して、これは人を傷つけないですよねと押し付けているというようにも聞こえるし、違うのではないかなと思う。
傷つけないというコンセプトはうまくいかないんだろうなと思うし、それを目指すなら私はNPを去る(参加者2)
-極端な話、コンフィデンシャルシリーズでのYさんの記事や、また別の女性を取り上げた「傷つけない」をテーマにした紹介記事は、それだけで人を傷つけているかもしれない。
また、「傷つけない」記事の切り取り方は、NP社の都合のよいように切り取ってると感じられ、それも傷つける要因になっているかもしれない。(参加者10)

3-2.「傷つけないコメント」をユーザーポリシーとすることについて
-匿名だけだと2chと変わらない。実名の方がいるから、信頼できると感じて入ってくるユーザーがいるかなと感じる。(参加者8)
-クレームが多いから、大変なんでその摩擦を減らすために掲げているのかなという気がする。
さらっとしすぎていて、コメントがあってもなくても変わらないと感じて外す人が多いということは聞いたことがある。(参加者3)
-傷つけないコメントばかりだと面白くないということは確かにあるかもしれない。(参加者12)
-以前「傷つけない」記事に出た本人と話したとき、傷つけないということについて、言葉だけが一人歩きしてしまっている、そこまで意図していないと本人は言っていた。(参加者3)
-ご本人がそう言っていたとすれば、それは詭弁であろう。事実、あの記事のコメント欄では「傷つけない論争」が起きていた。(参加者4)
-「傷つけないコメント」ということで、傲慢だなということはその通りだと思う。傷つけないというのは、相手が決めることであり、こちらが決められることではない。
ただ、「傷つけないように」と考えて、配慮してコメントすること自体は良いのかなと感じている。(参加者12)
-単に「誰かを傷つけないように」と考え、配慮してコメントするだけのことであり、それは結果として誰かが傷ついたかどうかとは別のことである。(参加者9)
-「傷つけない」というより、「傷つける意図をもってするコメント」は嫌だなと感じる。(参加者4)
-どれだけ相手を慮って人と接してきて、それでも人に傷つけられることをいっぱい経験してきて、その後にあの記事のご本人がどう変わるのかぜひ見てみたい。いじわる精神は大切。(参加者8)

-批判的なコメントというのは、記事に対してか人に対してか。建設的な批判はあった方がいい。傷つけないか傷つかないかはその人の価値基準次第だ。そこに人が存在しているだけで、誰かが傷つくことだってある。(参加者8)
-ユーザーミーテイングの際、傷つけないためにこういう発信をしようみたいなのはあったのか?(参加者3)
-ない。NP社のポリシーは、コメントという行動の在り方そのものではなく、その結果の中の一事象に過ぎない「傷つく」という現象に基づいて規範を作ろうとしている点で、発想が転倒している。
そもそも「傷つけない」等と言い出したら、人がこの世に存在すること自体が悪ということになる。なぜなら、人が一人存在するということは、必ず誰かを排除することでもあるからだ。まして何らかの発言をすれば、その可能性は格段に上がる。
発言を受け入れ、勇気づけられ励まされる人がいるということは、同時にそれを嫌悪し、その発言によって傷つく人が同じだけ存在する可能性を意味する。
要は、他人の行動や感情を予め支配することはできないし、できないからこそ他者なのだ。自分の思い通りにならない他者がいるからこそ、人生は可能性に満ちていて生きる価値があるともいえる。
それを、他人の感情を100%コントロールできることを前提に行動規範を作るなど、傲慢以外の何物でもないし、結局他者の存在を否定しているのである。
だから、普通は行動する側の主体的原理として規範をつくる。(参加者9)
-人の性格は変えられないが、行動は変えられる。
NP社がやろうとしていることが、行動に着目した取り扱いをするということならまだ理解はできる。でも、結果に着目してやろうとするのは無理がある(参加者4)

3-3.なぜNP社はユーザーポリシーを定めようとするのか?
-やりはじめた頃、ある女性ユーザーのコメントが優等生過ぎてフォローを外してしまったことがある。完璧に左も右も傷つけないというコメントが、NPの目指すところ、梅田社長の理想なのかなと感じた。(参加者6)
-クレームが多いから、大変なんでその摩擦を減らすために掲げているのかなという気がする。(参加者3)
-NP社が実現しようとしているのは、コメントする人というよりも、その残り99%のROMの人に不快感を与えない運営だ。(参加者11)
-ROMの人は、わざわざユーザーポリシーの「傷つけない」という部分を見ない。しかし、パッと見たときに、コメント欄が荒れていて激しい意見ばかり書かれていたら、99%のユーザーは今後入ってきづらくなる可能性がある。(参加者12)
-去年私がやり始めた頃は安保法制等のクリティカルな議論が盛り上がっていて、コメント欄はいい意味で荒れまくっていた。こんなに面白い世界があるのかと感じたほどだ。こんな風にコメントすればよいのかと感じたし、それで参入した人も多かったはずだ。(参加者4)
-2chとかは荒れているが参加者はすごい。クリーンだから参加するとか、ダーティだから参加しないという考えは違うと思う。そういう運営の考え方が間違っている。(参加者11)
-2chは楽しむことを目的をする人が多いが、NPは政治や経済の問題に関心があり、それを理解したいと考える人も多いと感じる。そのため、2chとは異なり、ある程度の信ぴょう性を求めてる人も多い。
NPは実名でやっているので、誤った世論が形成されているということをよく見てきている。例えば、チケットの転売問題がそうだ。(参加者11)
-私はサプライヤーロジックから考えてみていた。
運営がやりたいのは、今コメントしている人たちをたがにはめたい。外国のメディアはNews Weeksは、黒人と白人の問題等でコメント欄が荒れて、訴訟等も起きてどうしようもなくてコメント欄を閉鎖した。(参加者4)
-梅田社長は「傷つけないコメント」とか、多様性を認めると言いつつ、一方では実名匿名を問わず多くのユーザーを排除する措置をやり続けている。そこに、非常に屈折した思考を感じざるを得ない。
それが彼の主体的意志なのか、それとも何らかの「助言者」に盲従しているのか、私たちは真意を理解しなければならない(参加者9)

 

【4.その他の論点】
4-1.おすすめピッカー制度やピッカー紹介について
・一貫して、無難で優等生タイプが選ばれてきた。より正確に言うと、優等生タイプではない人も、恣意的に優等生っぽく切り取られて紹介されてきた。その中で、Yさんの記事は異色ではあったが、よく読むと、やはり大きく切り取られている面もある(笑。(参加者9)
-そのとおり。アイコンも猫だし、ふざけるときはちゃんとふざけるし。野党が初めて当選した時のような感じを受けた。我々の代表みたいな感じで、今回の人選はチャレンジングと感じた。(参加者12)
-人選のところでいえば、これまで選ばれた人はあまりコメントをしてなかった。この前の女の人とか。コンスタントにコメントをしていた方としてあまり例がなく、Yさんが選ばれたのが珍しい。
おすすめピッカーに選ばれたが、気持ち悪いフォローが100~200くらい増えた。(参加者8)
4-2.SNSの衰退の原因
SNSの衰退時に見られる現象として、インターネットのSNSコミュニティに約10年間見てきたが、いずれも衰退する原因となるのが古参のコアユーザーだ。古参のコアユーザーが不平不満を言い、空気が悪くなって新規ユーザーが入ってこなくなることが多い。(参加者1)
4-3.極端なコメント表示操作について
-ミュート数の累積でアルゴリズムを機能させれば、よりコメントをした人ほどミュートは積み重なっていく。
それに、運営がミュートを強調すること自体が、ユーザー文化に影響を与える。ミュートを使えば他ユーザーを抹殺できるということでもあり、ユーザー相互の差別排外意識をいたずらに助長している。(参加者9)

 

以上。
※以下、懇親会へと突入、、、

見えてきた実態~12.21面談メモ

【1.概況】
◆1月の梅田氏面談に先立ち、運営担当者2名(F氏、Y氏)とのサイト運営ルール及び仕組みのテクニカル面確認を所期目的とする面談。
◆面談内容の客観性確保を主な理由として、前田さんのご同席を仰ぐ。
◆面談時間約1時間半。前半45分程度はほぼ雑談。後半で「本題トーク」。
◆本題の方はかなり形式的な対応との印象もあるが、細部において「本音」、さらには「新情報」を把握できた成果もあり。

【2.ここに至る経緯】
①本年8月。別件で梅田氏と面談したことがあり、そこで「表示順操作」の件も話題になる。
②本年11月。上記①で約束された対応(表示順操作アルゴリズム)について、改善がないので再度メールでやりとりあり。
③本年12月1日。11/28のユーザーミーティングを経て、いきなり「最下位固定」措置発動。

【3-1.経緯①について】
・今年2月~3月にかけて、私の問い合わせメール(※有料会費が引き落とされない等の実務上のトラブル等に関する必要な連絡です)が全く対応されない等NP側対応不作為が重なった。
それをFBに書き込んでいたのをたまたま運営担当者が見つけ、事情を詳細説明すると言うので、NP社で社長及び運営担当者計3名と面談(8月頃)。
・その際話が軽く発展し、私の考えるサイト運営のあり方を申し述べたところ、梅田氏は「実に共感する」と言い、それを踏まえて、表示順操作アルゴリズムの件について、下記のように言明。
 ※一部、後日のメールでの確認内容を含む
 ①表示順の「基準」はあるが公開できない。
   ※いつもの、言い分のパターン。
 ②ただし、いくつかの基準のうち「ミュート数」があり、あなたの表示順はそれに掛かっている可能性がある。
 ③ミュート数は、期間で測っている訳ではなく、ユーザー毎の「累積」である。
 ④たしかに、「累積」では(※ユーザーの優良度が)適正に評価されているとは言えないので、指標の改定を検討する。
   ※これについては、後日「改定した」との連絡がメールであり。
   ※その際の書き方としては、「田添さんのご提案を踏まえた改定」。
 ⑤さらに、「あなたは、運営方針や利用規約順守にご協力いただいているので、新しいアルゴリズムの下で必ず今後表示順問題は改善されるはずだ。しばらく様子を見て欲しい。

【3-2.経緯②について(今年10月~11月にかけて)】
ところが、上記の「約束」に反して一向に事態が改善しないばかりか、アルゴリズム操作に加えて、極端な手動操作が行われる等、恣意的運用はひどくなる一方なので、「約束が違うではないか?」との趣旨の問い合わせメールを入れる。
これに対する返答は、上記経緯を全く無視する形で、「基準通り運用しており、どうしようもない」という、箸にも棒にも掛からないもの。
何度かメールのやり取りをするも、その部分に関する石田さん発信メール(※梅田氏CC付)での「社長の伝言」は下記。
 >田添さんのお気持ちはとても良く分かりますが、ユーザーの皆さまの全体最適を考えた判断を行なっております。今後もこの方針を変更する予定は今の所ございません。<
なお、先日のユーザーミーティングでは、梅田氏はこの点について平然と、「ミュート数は累積でカウントしている」と発言。
つまり、「アルゴリズムを改善した」とは全くの虚言で、しかも改善する気もなく、担当者にその指示もしていなかったことが判明。

【3-3.経緯③について】
以下は、既にご存知の通り。
 -11/28 ユーザーミーティング
 -12/1  コメント最下位表示の制裁発動
 -12/2 「削除されました」スレッドへ最後のコメント
   https://newspicks.com/news/1928789
 -以降、メールでの問い合わせには小野氏が対応

【4.12/21面談ポイント整理(「本題」部分)】
①「今回の措置(最下位固定表示※)は、アルゴリズムによる自動操作であり、人為的なものではない。」(by運営担当B氏)
 ※そもそも彼らは「最下位固定」というもの自体を正確には認めようとしない。
 ※ただし、今回の措置理由は、「ミュート件数、苦情、通報」の急増が理由であると言明。
 ※「最下位固定」等というとんでもない制裁によってユーザーに生じる不利益や名誉の棄損について、彼らはほとんど直視していない。自分たちはシステムによって公正に動いており、その影響や結果について関知しないとのスタンス。
②運営担当者の経緯認識(メールのやりとりの内容等)やアルゴリズム操作の説明は曖昧なところが多いが、よくよく突っ込んで聞いて行くと、明らかに私への一貫した確信的な「悪意」を持っている。また、その「悪意」が内部で意志一致されたものとも推定できる。
 ※事実経過の確認等でちょっとした言葉の揚げ足取りを執拗に行う等、肝心の話題になると官僚的なスタンスも一貫している。
アルゴリズムの「指標及びデータ」集計は極めて恣意的な操作を含んでいる!
今回のことではじめて登場した「苦情件数」の「集計」について、当初彼らは「自動集計」と言い張っていたが、面談中運営担当者B氏の見解の中で、「私たちが、知り合いのユーザーから直接、あるいは電話、メール等で個人的に聞いた苦情もカウントされている」という重要な言及があった。
④NPサイト内情報についても「世界認識」が明らかに異なる。
 例えば、私への制裁の背景について、「あなた方が主張するような苦情の急増が事実なら、必ずその気配や雰囲気がコメント欄に表れるだろう。それなのに、何らコメント欄にそうした記述が見当たらないのはなぜか?」と言うと、「私たちは、コメント欄に表れない多数の読者の声を重視している」、「コメント欄の世論は(例え多数のピックが集中した記事でも)必ずしも正確とは思っていない」というニュアンスのことを繰り返し述べる。
⑤「悪意」の背景に、どうも「プロ制度」を基層とする内輪のネットワークと、その中での内輪的なコミュニケーションの積み重なりが根強く存在するとの印象を今回持った。


【5-1.面談ポイント①:最下位固定表示はアルゴリズムでの自動?】
「自動」だと言い張るなら、その基準と指標、集計方法、運用経緯(※いつからやっているか)の公正な仕組みがなければならないが、それは「非公開」だといういつもの常套手段。
結局、ユーザー側からすれば、基準のないところに制裁だけがあるのと何の変りもない。
特にミュート数は、梅田氏見解では(ユーザーミーティングでの発言も含めて)「累積」だとのことだったが、今回小野氏からのメールには「一定期間集計」も行っていると書いてあり、それが私について「急増」しているのが制裁発動の理由になっているとのこと。
さらに基準については、色々とやり取りした結果、既に有名な「ミュート数」に加えて、通報件数、苦情件数等をカウントしているとのこと。
しかし、これは到底信じられるものではない。その理由は後述。

次に、「制裁」はどう考えているのかというと、それは「自動」であり、検索エンジンの表示順のようなものだと言い張る。
しかし、その「制裁」の現実的な影響がある。
 ①コメント機能が実質的に使えない(ほとんどの人が読む場所に表示されないので)
 ②言われのない誹謗や噂に晒される(「何か問題を起こしているから、あんな制裁を受けているのだろう」というような)
それで、これについてどう考えているかと訊くと、都合の悪いことにはひたすら沈黙。

【5-2.面談ポイント②:明らかになる「悪意」】
運営担当者の経緯認識(メールのやりとりの内容等)やアルゴリズム操作の説明は曖昧なところが多いが、よくよく突っ込んで聞いて行くと、明らかに私への一貫した確信的な「悪意」を持っている。また、その「悪意」が内部で繰り返し意志統一されたものとも推定できる。
事実経過の確認等でちょっとした言葉の揚げ足取りを執拗に行う等、肝心の話題になると官僚的なスタンスも一貫している。
色々言っても、結局基準や仕組みは秘密で非公開。しかし、現実に制裁は行い、それは勿論公開。
しかも、基準は非公開の中でどんどん変わっており、ユーザーが到底理解できる状態ではないのに、制裁意志だけは一貫して存在する。ユーザーに階級を付け、制裁を行い、コメント欄の言論を統制したい。その一貫した意図が存在し、とりあえずその悪意は今私に向いている。

【5-3.面談ポイント③:苦情数の集計?】
アルゴリズムの「指標及びデータ」集計は極めて恣意的な操作を含んでいる。
今回のことではじめて登場した「苦情件数」の「集計」について、当初彼らは「自動集計」と言い張っていたが、面談中運営担当者B氏の見解の中で、「私たちが、知り合いのユーザーから直接、あるいは電話、メール等で個人的に聞いた苦情もカウントされている」という重要な言及があった。
知合いとの私的な会話を「苦情件数」としてカウントしアルゴリズムに集計している。
アルゴリズム運用の虚妄は、ここにほぼ立証されたのではないだろうか。
つまり、システム運用担当者の思うがままなのだ。
例えば、担当者が知人のユーザーと飲みに行って誰かの悪口を噂話する。「苦情1件」だ。
電話で話しても、また「1件」。
運営問題について批判的なコメントを見かける。
それについて、また知り合いのユーザーと噂話。批判が出る。またまた「苦情1件」。
つまり、運用担当者に「思い込み」が生まれれば、終わりである。

【5-4.面談ポイント④:運営担当者の「世界認識」】
こうしたいわば「制裁製造装置」としての運営担当者の世界認識は、私の被害妄想か?
だといいが、どうやらそうではない。
NPサイト内情報についても、彼らの「世界認識」が明らかになった。
それは、我々常連ユーザーが、日々の記事閲覧とコメントを通じて築いてきた世界とは明らかに違う異質な空間だ。
例えば、私への制裁の背景について、「あなた方が主張するような苦情の急増が事実なら、必ずその気配や雰囲気がコメント欄に表れるだろう。それなのに、何らコメント欄にそうした記述が見当たらないのはなぜか?」と尋ねてみた。
すると彼らは、「私たちは、コメント欄に表れない多数の読者の声を重視している」、「コメント欄の見解は(例え多数のピックが集中した記事でも)必ずしも正確とは思っていない」というニュアンスのことを平然と述べる。
彼らは、同じものを見て違う世界を思い描き、さらにはサイトの未来についても全く違うビジョンを抱いている。

話の流れの中で、担当者A氏が、図らずも次のようなことに言及した。
「私が、NPの方針を尊重し、他者批判等行わないよう、この間注意深くコメントしているのは、あなた方も知っているだろう?」
すると、彼は「そうかもしれないが、以前は違いましたよね?」と迂闊にも口にした。
これが、どうやら彼らの本音だ。
「最近苦情が急増している」等というのは、捏造された口実に過ぎず、要はずっと「狙っていた」のである。

彼は、こんなことを話し始めた。
>ちょうど1年ほど前、私の知人の女性ユーザーから相談を受けました。
 「田添さんからコメントで批判された。それで困っているのだが、どうすればいいでしょうか?」と。<
ところが、彼の言う事実は、実際には全く違う。
女性活躍関連か何かの記事で、事実誤認の著しい他者コメント批判を行っているコメントに多数のLikeが付いているのを見かけたので、批判したことはたしかにあった。
そのような事情なので書くことを多くなりコメント欄では足らず、別途ブログに書いてアップした。
 ※最近よくzetumu氏がやっているのと同じ方法。

ところが、ここから先が彼の言う経緯は全く事実に反する。
実は、私はその女性とこの件でFB上で直接話をした。
会話の詳細は割愛するが、運営担当者の言う「相談を受けた」というのが全く嘘で、彼女が言うには、次のようなことだった。
>実は知人の運営社員から連絡をもらい、「あなたのコメントを批判している人がいる。私は運営担当なので、そのコメントを何なら利用規約違反ということにして、削除してしまいましょうか?」と。
要するに、運営担当者側から話を持ち掛けている。これが事実だ。
彼らにとっては、利用規約の運用等、自分の判断でどうにでもなる、実に軽いものらしい。

大事なことは、恐らくは彼らが、「知人ユーザー」に対してこうしたことを日常的に行っているであろうと、容易に想像できる点だ。
ちなみに、その女性ユーザーとの話の帰結としては、私のブログ記事がアップされていると困ることもあるという事情が分かったので、私の方でそのすぐに記事は削除した。

【5-5.面談ポイント⑤:見えてきた「内輪構造」】
これを言うと誰か分かってしまうが、担当者A氏とは、例のプロピッカー「誘致担当」である。
彼がこうした「世界認識」と、利用規約の恣意的運用に陥る事情は、よく理解できる。
既に、プロは100人を優に超え200人にも達しようとしている。
それだけの人数を誘致するに当たっては、その何倍にも及ぶ「専門家」にアプローチし、場合によっては親しくなり、緊密に情報交換しているであろう。
そこに、錯誤は生まれている。
そう、それこそがまさに、彼らの「世界認識」の基盤なのだ。
私たちが、ここで記事を読んでコメントし、他者のコメントを読み、場合のよってはその他者と直接会って情報交換する中で築いている世界認識と大きく異なるのも、大いに頷ける。
しかし、錯誤だけならいいが、彼らはその錯誤を含んだ世界認識を暴走させ、常連ユーザーの粛清に手を染めている。
ユーザー間での批判のやり取りや、記事内でのコメント炎上を憎み、それをまずは匿名排除に繋げた。
しかし、暴走はそれで終わらなかった。
コメント表示順操作という手法を編み出し、その極端な恣意的操作をどんどんエスカレートさせ今日に至っている。
そしてついに、利用規約違反がないどころか、他者への誹謗中傷等もないために、コメント欄では非難されるはずもない私という実名課金ユーザーを、実質的な垢バンへと追い落としてしまった。

その追い落としの直接の武器は歪められたアルゴリズムだが、さらにその根底には恣意的な世界認識でねつ造された歪んだ憎悪があり、その憎悪に基いて積み重ねられた彼ら社内での合意形成がある。
その合意形成を、梅田氏は、彼の掲げている理念との整合性の中で、巧妙に納得させられてしまっているのだろう。
善意に解釈すれば。
それが、現在私たちが目撃している、現在進行中の一連の出来事なのではないかと思う。
「悪意」の背景に、「プロ制度」を基層とする内輪のネットワークと、その中での内輪的なコミュニケーションの積み重なりが根強く存在するとの印象を今回強く持った次第だ。

(以上)

 

※お願い
 ①本レポートの記述に関連する情報をお持ちの場合、共有ください。
 ②私のレポートの中の情報もしくは表現に、不明点、疑問点があれば、質問してください。

【中間連絡】北高尾ハイキングオフ(非公式)

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こんばんは!
去る11/6に緊急企画として告知した北高尾ハイキングオフは、おかけさまで大好評となり、現在7名参加確定、参加検討中の方多数(7-8名くらい?)という状況です。
 ※北高尾ハイキングオフ、当初案内はこちら↓
  https://newspicks.com/news/1876929?ref=user_713126

天候が好天悪天を繰り返していますが、今のところ当日11/26は晴れ予報となっています。
10名未満を想定していますので、ここ数日で締め切りとなる可能性濃厚です。

晩秋の一日、ぜひご参加を検討ください。
以下、開催要項、多少修正加筆しています。※特に、下部の「服装」のところ。

            記

【開催コンセプト】
①東京の自然に溶け込む
 北高尾山系は、かの人気の山・高尾山のすぐ北側エリアにありながら、ハイカー少な目、自分のペースに合わせて思う存分自然の森を堪能できるところです。
 紅葉の森林に溢れるフィトンチッドをふんだんに取り込んで、疲れ気味の心身をリフレッシュ!
②参加者のペースで
 普段多少運動をしている人なら全く心配無用の安心安全コースです。
 とはいえ、参加者間で微妙に異なる体力がペースに利いて来るのが山。
 小休止を頻度多く設定し、ペースは一番遅い人に合わせます。
③好眺望
 メイン目標の陣馬山は、とても見晴らしのいい人気の山です。
 晴れていれば、富士山眺望!、
④歩き時間は半日くらい
 所要時間は、およそ半日くらい。
 もちろん、進み具合によって予定コースを柔軟に変更します。
⑤最後は温泉で疲労抜き
 このような機会でなければ、まず行くことにない場所に名湯・「陣馬の湯」があります。

【開催要項】
◆日程
 11月26日(土)、午前からお昼頃
◆場所
 北高尾、陣馬山周辺の山道
◆集合
 JR中央線・高尾駅北口改札前、7:00集合
  ※一応東京東部からも、到達可能な時間です。
  ※新宿発6:00の中央線で間に合います。直通です!
  ※移動は必ず電車で。集合地点には戻りません!
◆定員
 特になし。ただ、山行の安全確保上、10名未満を想定しています。
◆参加表明(お申込み)
 田添のプロフィール記載メルアドまでご連絡を。お名前(実名、HN)明記。
 ※他の方の参考になりますので、コメント欄にも極力参加表明を。
◆最終開催見極め
 前日夜7時の天気予報で最終的に決定します。
 雨予報の場合は残念ながら中止しますが、その場合は、別企画を検討しておきます。

【コース】
基本、下記①~③で進みます。
①小仏バス停⇒陣馬山頂(約5K、3時間くらい)
 ※高尾駅から小仏バス停まで、バスで20分くらいです。
  通常ここは走りますが、今回はバスに乗ります。
 ※最初だけ登りがありますが、尾根筋に出れば標高差はほとんどないコースです。
  残念ながら、ケーブルカーはありません(笑。
陣馬山(850M)⇒陣馬の湯
 ※約1.5キロくらいの下り。所要時間90分くらい
③陣馬の湯⇒JR藤野駅(2キロくらい)
 ※基本バスかタクシーに乗りますが、参会者の希望によっては歩きます。
 ※起伏が少ないですので、山登りのご経験ない方でも問題ありません。
 ※岩場、鎖場、ロープ場、崖登り等、ありません!
 ※陣馬山頂にお店あり。ゴールの温泉で食事もできます。多分、、。

【装備の目安】
◆登山用バックパックの出来るだけ小さいもの。本格的リュックは重いので不可。
◆バックパックの中身
 ①雨合羽 ※登山用の軽いものがベストだが、百均で売っている程度でもOK。
 ②ハンドタオル
 ③着替え ※なくてもOK。※汗かきの人は、Tシャツ、パンツ、短パン程度を小さく畳んで持参。
 ④給水  ※500ペットボトル1本でOK。途中の売店にも飲み物あります。
 ⑤補給食 ※補給用ジェル1個。スーパーで88円くらいで売っているものでOK。
      ※沢山持たないこと。
 ⑥現金  ※少々。ジップロックのような防水の袋に入れてください。
      ※財布は荷物になるので不可。
 ※※その他、余計なものは極力持たないこと。以上の重量目安2k程度。
◆シューズ:トレランシューズが最適だが、ごつい目のジョギングシューズでもOK。
      ※履きなれていないシューズは肉刺の原因になるので不可。登山靴も避けたい。
◆服装  :上~Tシャツに長袖の重ね着+ウィンドブレーカー程度でOK。
      下~ランニングタイツが最適だが、Gパン程度でもOK。
      ※ただし、セーター等の厚着は汗をかくので要注意。
      ※気温低下を想定し手袋(薄手のもの)を準備下さい。軍手でもOK。
       帽子も極力持参してください。
      ※インナーはスポーツ用が最善ですが、そうでなくても、フィット感のあるものにして下さい。
      ※若干標高差がありますので、自分なりに温度調節のできる服装を工夫して下さい。
◆その他 :ご不明点は、申込時のメールに記載してください。


以上。

                                                                                 ※奥多摩方面の紅葉(昨日11/18)

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